麻雀大会報告
山田裕樹
麻雀と言うものは、オヤが第一打を打ってから始まる。
子供の時からそうだった。
高校、大学と麻雀ばっかりやっていた時期があり、麻雀のキャリアはそれなりに長い。その頃だって、オヤがツモって始まる麻雀などなかった。
コロナの間に、また文明が進歩したのであろう。いつの間にか時代は、サイコロなど関係なくいきなりヤマとともに各自の手牌が浮き上がってくる卓になってしまったのである。この瞬間、私は勝負を捨てた。オヤになる度に少牌していては勝てるはずもない。
しかし、皆さん紳士であった。学習能力が欠如している私がオヤで第一打を切ろうとすると注意してくださるのである。だが、私は30代後半には麻雀は引退していた。マカオ、ラスベガスなどの海外のカジノをギャンブルの舞台に変えていたのである。麻雀は、仕事がらみで余儀ない場合だけお付き合いする程度になって久しいのである。
しかし、その諦念が良かったのかどうか、いきなりせこい連続トップをとった。すると欲が出るのが人間と言うもので、そのせいか3回戦はラス。そしてここまでの点数を集計して、2番目の卓で決勝を戦う事になってしまった。
優勝者は、基本的にはこの時点の総得点上位4人の中から出る。
私はまた諦めた。というのは嘘で、ひとつやったるか、と思ったのである。コロナのせいで麻雀は5年ぶりだが、大きいトップをとれば望みがないわけではない。
なぜ、そう思ったのか? 私はこの麻雀大会で優勝経験はない。しかし、最高得点者になったことはあるのだ。黒棒まで同じ第一位が二人。その一人が私だったのだが、わずか3秒で優勝がなくなった。ジャンケンでハサミを出したのがいけなかったのである。凶器を使えば反則負けは当たり前である。おのれ、チャンスがあったらいつか優勝を。そう思うのが人情であろう。さいわい最終回でツキの波が訪れた。ツイてしまえばこっちのものである。そもそもどのくらい点棒をかき集めれば、優勝なのかわからない。上がりまくっているうちに終了し、今度は単独最高得点者になったことを告げられた。ジャンケンの必要もない。
それにしても、業界から距離を取って、5年。推理作協さんとの関わりも、ソフトボールと麻雀だけになってしまった。
齢70歳にして初優勝。人生、何があるかわかりませんねえ。