日々是映画日和

日々是映画日和(163)――ミステリ映画時評

三橋曉

 フランスのローカル都市で起きた未解決殺人事件を描いた La Nuit du 12( 12日の夜の意)だが、原題の夜を殺人と置き換え『12日の殺人』とした邦題には、まんまとしてやられた。しかし、事件解決のカタルシスこそ欠くが、アルプス山間の街で起きた焼殺事件をめぐり、捜査の紆余曲折を丁寧に描いた作りに不満はない。捜査班のチームワークや浮き彫りにされるリーダーの苦悩も濃やかだが、途中にいくつもの劇的な展開があり、ミステリと空目した観客も飽かせない。『ハリー、見知らぬ友人』や『悪なき殺人』など、オフビートなミステリ映画が並ぶドミニク・モル監督のフィルモグラフィーに、また一つユニークな作品が加わった。

 ピーク時からの興行収入の落ち込みで、低空飛行も囁かれる韓国映画界だが、インディペンデント・シーンからイ・ソルヒ監督のような才能がひょっこりと現れるのだから、やはり侮れない。一昨年の釜山映画祭で注目を集め、前評判も高かった『ビニールハウス』は、社会派と犯罪映画の非常に優れた両側面を備え持っている。
 ソウル郊外の農地に寂しく佇むビニールハウス。そこにつましく住まうムンジョン(キム・ソヒョン)は、少年院にいる息子の出院を心待ちにしながら、介護の仕事に勤しんでいた。訪問先では被害妄想の老女から唾を吐きかけられ、私生活では痴呆の老母も見舞わねばならない。さらに自傷癖に苦しみ通い始めたグループセラピーでは、異常な執着心を抱えた女性と出会ってしまう。そんな疲弊する一方の日常を送る主人公を待ち受けていたのは、さらに過酷で皮肉な運命だった。
 イ・チャンドンの『バーニング』でも重要なモチーフだったビニールハウスだが、本作でも貧困の象徴であり、ヒロインの数奇な運命をも暗示する。世を儚む老人やストーカー女らとの負の連鎖が、彼女を絶望の淵から蹴落とし、奈落へ叩き込むのだ。
 ヒロインの苦しみが飽和状態に達した時、善意が悪意へと反転する一瞬に息を呑むが、主人公に容赦のない運命を背負わせることにかけては先達の故ハイスミスが観たら、どんな感想が返ってくるだろうか。(★★★★)*3月15日公開

 インドネシア映画の『ガスパールとの24時間』は、昨年の釜山映画祭での上映が評判となった。
 近未来のジャカルタ。私立探偵のガスパール(レザ・ラハディアン)は、政府絡みの案件に関わるうちに、幼い日に失踪した隣家の少女キラナ(ソフィア・シャイリーン)の記憶を蘇らせるが、医者からは余命一日の宣告を受けてしまう。命尽きるまでに幼馴染みが消えた真相を暴こうと、彼を慕うアグネス(シェニア・シナモン)やキラナの親友(ローラ・バスキ)の手を借りて奔走するが。
 予算の関係もあるのだろうが、『ブレードランナー』を連想させる近未来像が全面に出るのは序盤のみ。作り手が自分の映像美に酔っている印象もあるものの、随所にはさまれる回想シーンと死へのカウントダウンが、主人公の心中の苦しみをこれでもかと鮮明にしていく。唖然とする結末を含め、私立探偵ものとして高い評価は正直難しいが、登場人物一人一人の不思議と鮮明な存在感とも相まって、完成度とは無関係に妙に心に残る映画ではある。(★★1/2)*Netflixにて3月14日より配信開始

 ネットを震源地とする現在のホラーブームの火付け役ともいえる『変な家』が映画化された。原作は、ウェブの動画コンテンツが後に書籍化されてベストセラーとなった同題の小説である。
 オカルト系クリエーターの雨宮(間宮祥太郎)は、マネージャーの経験談から奇妙な間取りの家の存在を知る。相談役で建築専門家の栗原(佐藤二朗)に図面を見せると、その家には妙な違和感があるという。栗原の指摘に呼応するように、やがてその近隣では死体遺棄事件が明らかになるが。
 フェイク・ドキュメンタリーに徹した前半は、確かにこの手法ならではの怖さがある。しかし間取りの秘密が解き明かされた途端に興醒めしてしまうのは、水面下の真相が黴臭く、安直だからだろう。某巨匠の名を使って**風というのも憚られるほどにお手軽で、仕上がり、も羊頭狗肉という他ない。原作からの改変点もあるようだが、前半の雰囲気を持続できないのが致命的で、悪い冗談を見せられたような後味しか残らないのは、どうしたものか。(★1/2)*3月15日公開

 太平洋戦争の開戦前夜から終戦直後までの激動の上海・香港を舞台に、中国共産党と傀儡の汪兆銘政権との間で繰り広げられる諜報戦の暗闘を描いたのがチェン・アル監督の『無名』だ。
 中国共産党の工作員ジャン(ホアン・レイ)が、中華民国側に寝返った。取り調べにあたる政治保衛部の主任フー(トニー・レオン)は、日本軍占領下の上海で、軍部の高官渡部(森博之)の指揮下、部下のイエ(ワン・イーボー)らとともに熾烈なスパイ活動に身を置いてきた。二人にはそれぞれ人生を共に歩むべき相手がいたが、戦火が彼らにそれを許さなかった。やがて日本の敗色が濃厚となる中、結束が緩んだ彼らに試練の時が訪れる。
 手の込んだ舞台装置が印象的なシーンの数々からは、舞台劇の雰囲気も漂ってくる。一見大胆だが、しかし精緻な時系列のシャッフルもあり、観客を幻惑するのは、もちろん監督に企みがあってのことだ。精緻といえば、ここぞというくだりで炸裂する格闘場面のアクションにもきめの細かさがあり、吸い寄せられ、目を奪われる。
 出演者では、ややもするとトニー・レオンを食うほどの存在感を放つワン・イーボーが素晴らしい。今後が楽しみな逸材だと思う。女性陣も名花が顔を揃える中、岩井俊二の『チィファの手紙』での好演が忘れ難いジョウ・シュンのファムファタールが印象に残った。(★★★★)*5月3日公開
※★は4つが最高点です。