日々是映画日和

日々是映画日和(164)――ミステリ映画時評

三橋曉

 もし存命なら米寿を迎えている筈の作家グレゴリー・マクドナルドだが、代表作フレッチ・シリーズの映画化が三十二年ぶりのリブートと聞き、頬が弛んだ。さすがに主人公のフレッチ役はチェビー・チェイスからジョン・ハムへとバトンタッチされているが、シリーズ二作目の「死体のいる迷路」を原作に、オフビートで愉快なクライム・コメディに仕上がっている。オリジナル脚本だった前作(『フレッチ登場!/5つの顔を持つ男』)は散々な評判だったが、この路線なら次も期待できるのではないか。噂通りに三作目の「殺意の迷宮」が原作ならば、さらに良し。ちなみに、『フレッチ/死体のいる迷路』は、現在Netflixで配信中。

「チング(友達)」という言葉は、韓国映画ファンにはたまらぬ響きがあるが、パク・フンジョン監督の『貴公子』でキム・ソンホが演じるタイトルロールも、作中で幾度となくそれを口にする。その相手は、病床の母の治療費を稼ぐため、窮々とした生活を送る青年マルコ(カン・テジュ)だ。
 舞台はフィリピン。マルコは、金のためボクシングの地下リングにあがる一方で、行方の知れない父親を探していた。そんな彼に、父が名乗りを挙げたという話が飛び込んできた。使者の言うがまま韓国に向かうが、機上で貴公子を名乗る謎の人物が親しげに話しかけてくる。友達同士だという彼の話はマルコの心をざわつかせ、不穏な空気があたりに漂い始める。
 前半の山場は、父の許へ向かう陸路のカーチェイスからの展開で、マルコを阻もうとする一行の出現に、敵とも味方ともつかない貴公子が加わり、さらにしたたかな女弁護士ユンジュ(コ・アラ)が割り込んでくる。三つ巴、四つ巴のめまぐるしい大混戦のアクション・シーンは、見応え十分だ。
 一方、事態の背景が解き明かされていく後半も緊張感は緩まない。とりわけ最後の最後で貴公子の正体が浮かび上がってくる終盤の大反転に息を呑む。大胆なプロットを詳らかにする細心の脚本は、見事というほかない。
 ただ、ポストクレジットのシーンは蛇足だろう。貴公子を名乗る男の桁外れのカリスマ性は、正体不明であってこそ映えるのではないか。監督は、すでに魔女シリーズだけで手一杯の筈で、安易にシリーズ化を欲張ってはいけません。(★★★★)*4月12日公開

 入江悠の『あんのこと』は、覚醒剤中毒で売春の常習犯であるヒロインの更生の物語として始まる。母親からの激しいDVを受けて大人になった香川杏(河合優実)は、小、中学校すらまともに通えぬまま成人した。今でも母の強い引力圏から抜けられず、搾取され、暴力をふるわれ続けていた。
 地元警察のベテラン刑事多々羅(佐藤二朗)のなりふり構わない援助で、彼が主催する薬物更生者のグループ治療に参加すると、多々羅を取材にきていた雑誌記者の桐野(稲垣吾郎)も、彼女に温かい目を向け始める。刑事と記者の支えで、ついに杏は大きな課題だった実家からの脱出に成功するが。
 その直後、物語の折り返し点でいきなり観客を見舞うサプライズは、衝撃的というほかない。恐るべき真実が顕わになると同時に、前半の微かな違和感が一気に払拭される。あまりのことに唖然としながらも、これは間違いなくミステリ映画のカタルシスだと気付かされる一瞬だ。コロナのパンデミック下で実際に起きた事件を擬えているそうだが、厳しい現実とそれに翻弄される弱者の無力な姿が、やるせなさとなって観る者の心に突き刺さる。(★★★★)*6月7日公開

『フロンティア』など、もっぱらホラー系のジャンル映画で知られるザヴィエ・ジャン監督だが、アクション映画『FARANG ファラン』の主人公の格闘家サムは、フランスの裏社会から足を洗った前科者である。組織を抜けて逃亡先のタイで第二の人生をスタートさせ、ホテルでポーターとして働きながら、ムエタイの闇バイトで金を貯めている。夢はビーチに店を開き、愛する妻子と真っ当に暮らすことだが、地元のボスに足元を見られ、再び汚れ仕事に引き込まれてしまう。
 ファランは仏語でよそ者という意味だそうだが、主演のナシム・リエスは主人公と同じアルジェリア系フランス人だ。キックボクサーとしてチャンピオンに君臨したこともあるアスリートだけあって、リングにあがるシーンではプロ相手に「らしさ」を披露する。粘着質の格闘シーンは、韓国映画からの影響をも窺わせ、終盤はインドネシア映画の『レイド』を連想させる。師匠役で、やはり同国が舞台だった『オンリー・ゴッド』のヴィタヤ・パンスリンガムが顔を出すのも嬉しい。(★★★)*5月31日公開

 吉田修一の同題小説を大森立嗣が自らの脚本で監督した『湖の女たち』では、高齢者向け介護施設で起きた殺人事件が描かれる。故意に人工呼吸器を停めたとして、担当の介護職員(財前直見)に、濱中(福士蒼汰)と伊佐美(浅野忠信)の両刑事が執拗に自白を迫っていく。
 一方、事件を取材する雑誌記者の池田(福地桃子)は、被害者の過去を探るうちに過去の薬害事件に行き当たる。当時、その捜査チームには伊佐美がいたが、うやむやの内に闇に葬られるのを傍観するしかなかった。
 現在、二十年前、そして戦時中の出来事が呼応し合う三層構造に加え、複雑な男女関係も描かれ、物語はやや錯綜する。盛り沢山で、力の籠った作りだが、原作のエッセンスに忠実とはいえ、散漫な印象は否めない。メリハリや映画ゆえの省略があっても良かったとは思う。
 そんな中で印象的なのは、刑事の濱中と若手介護職員の豊田(松本まりか)が結びつき、支配と依存の歪んだ繋がりが築かれていくエピソードだ。この部分だけで独立した作品が出来るほどの濃やかさがある。だがその分、池田の活躍や真犯人たちの姿が霞んでしまっているのが惜しまれる。(★★★)*5月17日公開

※★は最高が四つ