フリーランス新法と出版業界
我々作家を取り巻く環境が年々様変わりしていることはご存じの通りだ。電子書籍の隆盛がそうであり、さらに毎年様々なメディアが生まれ、可処分時間の奪い合いが激しさを増しているという現況は解説不要だろう。
そしてもう一つ、実は法律についても年々変化が生じており、間もなく我々に大きな影響を与えるかもしれない法律が施行される。この辺り、同業者間でもあまり知られておらず、今回こうして周知のため寄稿の機会をいただいた。
行数が押しているので早速本題に入りたいが、まず、いわゆる会社員の場合、労働基準法・労働契約法といった法律でその労働環境が守られていることに触れておきたい。ひるがえって我々作家はどうかというと、著作権法で作品の権利こそ守られているが、働き方を保護するような法律はなかった。
一応、個人事業主を守る法律として下請法(下請代金支払遅延等防止法)や独占禁止法がある。これらはいずれも優越的な立場にある企業から個人事業主を含む中小企業を守る法律で、無報酬の修正を依頼したり、報酬を勝手に減額することを違法としている。そのおかげで、たとえば「納入日に一日遅れるごとに1%報酬を減ずる」といった契約書を提示され、サインしたとしても、発注側が減額の根拠に相当な合理的理由があることを示せない限り減額は無効となる。
しかし下請法・独占禁止法の保護対象となるには、一般的に「A社の依頼で製作し、A社以外に持って行けない」といった業務でなければならないと解されている。その点我々作家の書く作品は、「A出版社でボツにされてもB出版社で出せる可能性」がある。これは「汎用性ないし転用の可能性がある」ということで、下請法や独占禁止法の保護対象にはならないと考えられてきた。余談ながらこれは小説に限らず漫画などでも同様のことが言える。
ただ逆に言えば、出版社からの仕様指定が多いもの――たとえばノベライズのように「特定出版社から依頼され、かつその出版社でしか出せない」ような小説・漫画などについては、下請法が適用される可能性は格段に上がると言われている。(ノベライズ執筆時にトラブルが発生して下請法違反で訴えた、といった前例が皆無であるため、実際に公正取引委員会ないし裁判所がどう判断するかは不明だが)
こういった法的な環境の未整備もあって、ご存じのように我々は出版契約書を交わすことなく本を出すことが往々にしてあった。もちろんそれは大体の出版社との取引ではまずトラブルは起こらないという信頼関係があってのことだが(我々作家側も契約書のやり取りを面倒くさがってはいないだろうか)、この商慣行が原因でトラブルに発展する場合があることも事実だ。
問題はこうしたトラブルに遭遇したとき、我々のような作家やフリーランスといった個人事業主の立場が非常に弱いことにある。そこで「フリーランスが安心して働ける環境を整備するための法律」が2024年11月から施行される。通称フリーランス新法だ(正式名称は「特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律」)。
先ほどの下請法には、たとえば発注者の資本金が1000万超でなければ適用されないという規定がある。そのため資本金1000万のフリーランス仲介企業とトラブルが発生した場合、対抗手段が著しく限られるといった問題があった。また下請法が適用できる業務は規定されているため、我々がそうであるように保護対象になり辛い業種というものもある。
そこでフリーランス新法は、下請法でフォローしきれていなかった部分を新たにフォローし、また今まで曖昧だった「フリーランス」や「発注事業者」の定義を厳密に定め、両者間の取引環境を改善するための様々な事項が定められている。
まず定義を見ていこう。色々と見たが中小企業庁が公開しているパンフレットが一番分かりやすく、次のように記載されている。
https://www.chusho.meti.go.jp/keiei/torihiki/download/freelance/law_03.pdf
フリーランスは「業務委託の相手方である事業者で、従業員を使用しないもの」。
発注事業者は「フリーランスに業務委託する事業者で、従業員を使用するもの」。
なお「従業員」には、短時間・短期間等の一時的に雇用される者は含まない。具体的には、「週労働20時間以上かつ31日以上の雇用が見込まれる者」が「従業員」にあたるとのことだ。
小説ではあまりないが、漫画の場合はアシスタントが必須だしそれが従業員に該当することは有り得るだろう。その場合、「発注事業者」となる点は注意が必要だ。ややこしくなるので読み飛ばしてもらっても構わないが、発注事業者はさらに「特定業務委託事業者」と「業務委託事業者」の二種類に分類される。漫画家がアシスタントを従業員としてではなくフリーランスとして業務委託する場合、フリーランスであると同時に「業務委託事業者」になる。つまりアシスタントが従業員か業務委託契約かで立場が変わる。
大体の小説家と出版社の場合、「フリーランスと発注業務者」という形でフリーランス新法が適用されることになるだろう。余談だが我々作家は「ご職業は?」と聞かれたときに「作家です」と答えづらい場合があり、「自営業です」などと名乗ることがよくあった。今後は「フリーランスです」と名乗っても問題なさそうだ。
ただ我々がフリーランスに該当するとしても、「フリーランス新法の保護対象になる取引」は厳密に定められている。すなわち下請法と同様に、「我々作家の業務がフリーランス新法における業務委託に該当するか」という問題が残る。
これについて興味深いのがパブリックコメント、すなわち国民からの疑問に対する国の返答だ。その質疑に次のような記載があった。
https://www.jftc.go.jp/houdou/pressrelease/2024/may/02_fl_opinionandthinking.pdf
質問:
新聞社・出版社・テレビ局等が大学教授・専門家・小説家・漫画家・脚本家等に対して原稿執筆を依頼することは、原稿のテーマ・文字数・ページ数等を指定するものであり、又、著作権及び著作者人格権は小説家等に帰属するのが常であるから当初依頼した新聞社・出版社等以外の新聞社・出版社等が当該原稿を用いることができる(すなわち、転用可能性がある。)ことから、本法の適用対象とすべきではない。
回答:
著作権の譲渡や著作者人格権の行使の制限の有無等にかかわらず、事業者がその事業のために他の事業者に、給付に係る仕様、内容等を指定して情報成果物の作成を委託する場合には、「業務委託」に該当します。(解釈ガイドライン第一部1(2)イ参照)。
頂いた御意見については、今後の業務の参考とさせていただきます。
つまり原稿執筆の依頼を受けての業務のほとんどは、フリーランス新法の保護対象となり得ると国が指針を示したことになる。
ご存じの通り、ほとんどの本は出版社の依頼を受けて書き進められる。中には企画書なしで原稿を書きあげ、「これ面白いから本にして」と直接持ち込むルートもあり得るが、その際にも誤字修正や表記統一といった追加作業が発生することがほとんどだ。たとえネットにアップしていた小説を「弊社で書籍化したい」という依頼があったとしても、書籍にするにあたり何らかの作業が発生するのが常だろう。
つまり今年の11月以降、我々作家の行う仕事のほとんどがフリーランス新法の保護対象となり得る。まずこの点を是非ご認識いただきたい。
ではそうなったとして、我々の業務は今後どうなるか。大きなところで、発注者側には取引条件の明示義務が発生する。私見だがこれは「三条書面の提示」と呼ばれることになると思ってる(下請法でも第三条に似た項目があり、同じく三条書面と呼ばれているためだ。)
この取引条件の明示=三条書面は、電話など口頭で済ますことは禁止されている。ただ書面ではなく電磁的方法、つまり電子メールや「送信者が受信者を特定して送信できるSNSメッセージ」で提示することは問題ないそうだ(この点は下請法より緩和されている)。なおこれは我々も同様であり、小説にせよ漫画にせよ何らかの業務を誰かに委託する場合、三条書面の明示義務が発生するという点は注意が必要だ。
他にも色々あるのだが、大変恐縮ながらこの場で全部解説すると長いので、やはりこちらの資料の2ページ目を見て欲しい。数ある資料の中でも一番分かりやすいと思う。
https://www.chusho.meti.go.jp/keiei/torihiki/download/freelance/law_03.pdf
注目すべき点として、フリーランス新法における発注側の禁止事項を抜粋しておきたい。
一か月以上の業務委託をした場合、次の7つの行為をしてはならない
① 特定受託事業者の責めに帰すべき事由なく受領を拒否すること
② 特定受託事業者の責めに帰すべき事由なく報酬を減額すること
③ 特定受託事業者の責めに帰すべき事由なく返品を行うこと
④ 通常相場に比べ著しく低い報酬の額を不当に定めること
⑤ 正当な理由なく自己の指定する物の購入・役務の利用を強制すること
⑥ 自己のために金銭、役務その他の経済上の利益を提供させること
⑦ 特定受託事業者の責めに帰すべき事由なく内容を変更させ、又はやり直させること
たとえば次のような事例が想定できる。
出版社Aの依頼を受けた作家Bが、一か月かけて原稿を書き上げたとしよう。しかし出版社側からボツを出され、お蔵入りとなったとする。この際、作家Bは「出版社Aの判断はフリーランス新法の禁止行為①受領拒否に該当する」と訴えることが一応は可能だ。
少々奥歯に物が挟まったような表現で恐縮だが、非常に厄介な点として、今のところ前例がないこと、そして法律の適用は常にケースバイケースという点がある。
争点は無数にある。たとえばそもそも執筆依頼があったといえるのか(単に書いてくれたら載せるよ、という約束ではなかったのか)、出版社Aは作家Bがこの仕事を仕上げられるだけの力量があると見定めた上で依頼したのか。作家Bは、明らかに手を抜いた原稿を書き、そのために出版社Aはクオリティ未達としてボツにしたのかもしれない。ボツの理由の立証、あるいはその反証など一体どうすればいいのか。
何より、ただ違法と認められただけでは意味がない。「本を出版すべし」と判決が出るのか、あるいは損害賠償をいくらまで認めてくれるのか。前述の通り我々の書く原稿は「汎用性ないし転用の可能性がある」であるから、たとえ損害賠償が認められたとしても雀の涙ほどになる可能性は大いにある。
また、前述のパブコメにはもう一点興味深い質疑がある。
質問:
事業者が個人から当該個人が保有する権利(肖像権等)や財産の利用権のライセンスを受け、一定の条件を達成した場合に当該ライセンスについての報酬を支払うことを合意する場合、特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律第2条第3項に該当するような「業務委託」がないことから、特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律の適用はないという理解でよいか。
回答:
御理解の通りです。
つまり原稿依頼にはページ数やジャンル等の仕様指定があることが普通だが、中には「ページ数にも内容にも一切制限をかけないので好きに書いてください」という依頼、あるいはネット上にアップされている小説をそのまま本にする、という事例も皆無ではないとは思う。この場合、「業務の委託」がないことから、フリーランス新法の保護対象にはならないと読み取れる。
このように、どこまで影響が発生するかまったく分からないのがフリーランス新法だ。実際、施行されたからといって我々の仕事がすぐに大きく変わることはないだろう。企画が通る度に三条書面が郵送かメールで送られてくる、といった変化はあるかもしれないが、「いや小説や漫画は絶対フリーランス新法の保護対象にはならない」と判断して三条書面を送らない出版社もあるかもしれない。
また一番大事なことだが、こういった法律はいくら「あなた方を保護しますよ」「違反した企業は罰しますよ」と謳われていようと、公正取引委員会への申告が行われ、違法であると判断されて初めて変化が生じ得る。果たして出版社と揉めたとして、公正取引委員会に申告する、という選択肢を取れるかどうか。
ただ、一つだけ確かなことがある。作家と出版社間のトラブルはどうしても皆無にはできず、その際にどちらが正しいかについて判断するのは容易ではなかった(編集部が悪者になりがちではあるが、よく事情を訊くと作家側も大概だった……という事例は多い)。
しかし今回フリーランス新法という一つの基準ができた。もし出版にまつわるトラブルに遭遇した場合、どちらが正しいかを明白にする基準として、フリーランス新法を知っておいても損はないだろう。私事で恐縮ながら、私もこの二十数年の間に大小のトラブルに遭遇してきたが、個人的経験として「(あなたがやってるそれって)違法行為なんですけど会社的に大丈夫ですか…?」とやんわりお伝えすると大体すぐに解決したことは追記しておきたい。
謝辞:
この原稿は法律事務所アルシエン所属の河野冬樹弁護士にご監修いただきました。河野先生は著作権関連法務を得意としており、筆者も顧問契約をお願いし何度となくお世話になっております。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。