一里=四㎞にあらず

若桜木虔

 一里=四㎞として書いている時代小説が実に多い。
 黒岩重吾(大正十三年~平成十五年)には、古代史に題材を取った作品が多いが、蘇我入鹿を主人公にした『落日の皇子』や、聖徳太子を主人公にした『日と影の王子』など、いずれも一里=四㎞として書いている。
 黒須紀一郎の『覇王不比等』など、作品社の古代史の作品は、全て一里=四㎞の注釈づきで、書かれている。
 しかし、古代中国や古代朝鮮では一里=四〇〇~五〇〇mで、日本にも中国や朝鮮の「里」が伝えられ、大宝元年(西暦七〇一年)に制定された大宝律令で「里=五町=三百歩(五百四十m)」と規定された。
 だから、古代が舞台であれば、この距離注釈で書かなければ時代考証間違いである。
 
 そもそも、一里=約四㎞は江戸時代になって主要五街道(東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道の関東地方)だけ定められた。
 その他の地方の距離基準は古代から変わらなかったり、一里=半刻(一時間)で行ける体感距離だったり、もうバラバラ。
 時代考証に正確に書こうと思えば、その辺りを、きちんと押さえて書かなければ駄目である。
 松尾芭蕉の『奥の細道』はインターネット上で全文が読め、「里」は頻出するので、「ここの一里は、いったい何㎞だ?」と推理しながら読んでいくと面白い。
 一里=約四㎞に統一されたのは、何と、明治二十四年なのである。