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人の抱える何か

安孫子正浩

 第七回大藪春彦新人賞を『等圧線』でいただきました安孫子正浩と申します。よろしくお願いします。
 昨年秋に受賞のご連絡を頂戴しましたが、待ち望んだ知らせに「よっしゃ!」と叫んでガッツポーズを取ることも、「よし、やっとここまで来たぞ」と悦に入ることもなく、ただ日だけが過ぎていきました。思えばこの間、間違えることばかりです。三月の贈賞式には、いそいそと浮かれて作った名刺を持参して上がりましたが、ご挨拶させていただいた大沢在昌先生に、「肩書に作家って入れるヤツは大成しないんだよ」と早速ダメ出しをいただきました。受賞スピーチも降壇後、担当編集者に「長過ぎですね」といわれました。さらには、今回協会へ入会させていただくにつき事務局担当様とのやりとりのなかで、「文美」と書かれていたのを「あやみさんかな?」と勘違いしてしまう始末です(お判りと思いますが、文芸美術国民健康保険組合のことです)。察しが悪いにも程がある。一冊の著作もまだないというのに、失敗談には事欠きません。
 小学三年生のときに本読み道に入りました。日曜日の夕方、近所の商店街にある本屋へ連れて行かれ、「一冊選びなさい」と父親にいわれました。ポプラ社の乱歩先生の全集が並んだ棚の前で、ずいぶん思案してから選んだのは『時計塔の秘密』でした。それが「幽霊塔」のリライトであるといった経緯は当然子どもの自分に知る由はありませんが、最初に選んだ本がこの一冊でよかったと本当に思います。
 以降わたしは父親から本を得るようになりました。買って貰うだけでなく、父親の書棚からこっそり持ち出すこともありました。書棚には松本清張先生も並んでいましたが、特に印象に残っているのは結城昌治先生の刑事を主人公とした作品群です。小学生の自分がいったいどこまで判っていたのか。ただ嗜好の基礎形成はこの時期に成されたように思います。
 この頃既に作家を志望していましたが、学生になり音楽と映画にも耽ります。
 映画は、ときに見当外れの深読みや誤読もする困った(熱烈な)ファンでもあります。先日もマイケル・マン監督の『フェラーリ』を観て、「帝王と呼ばれた男の情熱と狂気を圧倒的熱量で描く」という惹句に「ぜんぜん違うやんけ」とひそかに異議申し立てをしていました。劇中で描かれるエンツォ・フェラーリは情熱と狂気の男でもありますが、正妻と愛人のどちらにもムシのいい言い訳をして約束事を先延ばしする甘ったれた弱い男の面を持っています。監督の意図なのかどうか。こういった人間の抱える辻褄の合わなさ、整合性のとれない裏と表の姿を描く映画に惹かれます。なので「どんな映画が好きなの?」という質問にはいつも上手く答えられません。「うーん、言葉にできない人間の矛盾が、ある瞬間に表出する映画」といった答えを質問者は求めているわけではありませんから。
 大藪春彦新人賞の贈賞式ではさすがに口に出せずにいたのですが、エラリイ・クイーンの熱烈なファンでもあります。好きな作品は(いちばんは『九尾の猫』ですが)『緋文字』や『第八の日』、『悪の起源』等。初期の、隙間のないロジカルな小説群より中期以降の作品に惹かれるのは、ここでもやはり、見えているある事柄が見る位置をズラすと異なる構図になる。ある人物の印象が別の事実を踏まえて見るとまったく違ったものになる、といった複層ある人の内面の矛盾や複雑さが扱われているからに他なりません(それなら『××』でしょう、という先輩作家方の声が聞こえてきますが、そうです。ネタバレにならないようにあえて挙げなかったのです、……)。
 人には複数の面があり、それらが矛盾していることもあり、その矛盾を自覚し苦しんだり、飲み込んで「人ってそういうもんだよな」と割り切ろうとしてみたり。一筋縄ではいきません。犯罪もロマンティックな恋愛も仕事に懸ける情熱も同じです。近しい人にだっていえない秘密の部分や、自分自身でさえ判らないものを抱えて誰もが生きている。抽象的で判然としない人の抱える何かを、言葉に置き換え物語にしていきたいと思います。
 今後ともご指導の程、よろしくお願いいたします。