追悼

山沢晴雄さん追悼

日下三蔵

 山沢晴雄さんとは短篇集『離れた家』(日本評論社)刊行の際の打ち合わせで一度お目にかかっただけだから、こちらが一方的に作品を愛読しているだけの関係であった。
 初めての出会いは鮎川哲也編のアンソロジー『殺意のトリック』(双葉社)に収録されていた「銀知恵の輪」だっただろう。それから「幻影城」で「扉」を読んで、古本で買い集めた「宝石」の掲載作品を拾い読みしていった。
 やがて甲影会の同人誌「別冊シャレード」で山沢さんの雑誌掲載短篇や未発表長篇が刊行されるようになり、即売会のたびに買い求めた。
 二○○四年に、やはり鮎川アンソロジーで出会って愛読していた天城一さんの作品集を編む機会を得た。旧知の編集者で熱心な天城ファンの小川敏明さんが企画を通してくれたのだ。小川さんの勤める日本評論社は「数学セミナー」の版元であり、天城さんとは数学の中村教授として古くからお付き合いがあった。
 天城さんから解説はぜひ山沢さんに、とのご指名があり、『天城一の密室犯罪学教程』は山沢さんの丁寧な解説がついて立派な本になった。マニアックな本格ファンが喜んでくれるだけだろうと思って出した本だったが、この本は予想外に版を重ね、本格ミステリ大賞の評論研究部門まで受賞する成功を収めた。
 おかげで天城さんの本を続けて出せることになり、『島崎警部のアリバイ事件簿』と『宿命は待つことができる』を刊行。山沢さんはそのすべてに天城さんへの友情と本格への愛に満ちた温かい解説を寄せてくださった。
 小川さんから「山沢さんも作家なのに、いつも解説のお願いばかりというのは心苦しい。作品集を作ることはできないか」と相談されたときには、「もちろんできますよ」と即答した。山沢さんには「離れた家」というズバ抜けて緻密な中篇があり、芦辺拓さんの編んだアンソロジー『硝子の家 本格推理マガジン』(光文社文庫)に収録されて若い読者を驚かせていたから、この作品を核にすれば充分に面白い短篇集を作る成算はあった。
 第一部には「宝石」への投稿時代から活躍しているシリーズ探偵・砧順之介ものから選りすぐりの四作を並べた。掲載されるかどうか分らないはずの投稿作品をシリーズ化を前提に書くのはすごい自信だが、後に赤川次郎氏が「幽霊列車」で、泡坂妻夫氏が「DL2号機事件」で同じことをやっている。
 第二部には本格ものだけでなく、サスペンス、幻想小説、実験的なメタフィクションとバラエティに富んだ作品を集めるよう心がけた。難解な本格ミステリの書き手というイメージが先行していたきらいのある山沢さんの、物語作家としての側面を知ってほしかったためである。
 第三部にはもちろん代表作中の代表作である「離れた家」を配してトリをとってもらうことにした。
 山沢さんが上京されるタイミングで小川さんに打ち合わせをセッティングしてもらい、三人で渋谷の喫茶店で顔を合わせた。恐る恐るこちらの考えた構成案をお見せしたところ、なんのダメ出しもなく「これでけっこうです。ありがとう。おまかせします」といっていただけたのにはホッとした。
 いろいろと昔のお話をうかがったが、有名なリレー推理「むかで横丁」解決篇の、「このトリックが判る読者がどれだけいるか」と豪語した、というエピソードについては、多重解決のうち最後に掲示される解決ではなくその一つ前の解決が真相という趣向を思いついてやってみたが、説明を省略し過ぎたために読者にはほとんど伝わらなかった。そのことを例会で「誰も判ってくれない」と嘆いたら「嘆息」が「豪語」と受け取られてしまいました、と苦笑しておられた。
 長篇作品についても世に問う意欲を示されていたが、砧もののある長篇にはシリーズ探偵であることを利用したトリックが仕掛けられているので、砧が名探偵であることが読者に知られていることが前提となる。そのためにはまず短篇を読んでもらう必要があるでしょう、ということで『離れた家』は中・短篇の傑作選として刊行されたのである。
 幸いミステリ・ファンからは好評を持って迎えられたものの、私の力不足もあって山沢さんの存命中に長篇作品を刊行するお手伝いができなかったのは残念でならない。いずれ残った長篇も公刊され、山沢ミステリの全貌が姿を現すだろうと思うが、ファンの一人として、その日が早く来ることを願いたい。