日々是映画日和(57)
三橋曉
スピルバーグやハネケ、アン・リーなど、各国の巨匠らの作品がひしめいた今年のアカデミー賞レースだが、作品賞部門の栄冠はベン・アフレック監督〈アルゴ〉の頭上に輝いた。革命下イランからの奇跡の救出劇をサスペンスフルに描いたこの作品の受賞を、〈ノーカントリー〉(2007年)以来の快挙と喜んでいるミステリ映画好きも多いと思うが、受賞を逃したノミネート作の中にも注目作はある。三年前に〈ハート・ロッカー〉でオスカー像を手にしている女性監督キャスリン・ビグローの〈ゼロ・ダーク・サーティ〉である。
パキスタン北部の町に潜伏中だったビンラディンが、アメリカ海軍特殊部隊の急襲により殺害されたという報道がCNNニュースを通じて世界を駆け巡ったのは二年前。9・11の同時多発テロからはなんと十年目のことだったが、その間アメリカが血眼になって捜しまわっていたにもかかわらず、イスラム原理主義のテロ組織アルカイダを率いる指導者の行方は杳として知れなかった。本作は、その謎につつまれた十年間に焦点を合わせている。ちなみに"ゼロ・ダーク・サーティ"という奇妙なタイトルは、軍事用語で午前零時三十分のことで、海兵隊が潜伏先へ突入した時刻をさしている。
高校卒業後と同時にCIAからリクルートされた主人公の女性局員を演じるのはジェシカ・チャステイン。イスラマバードへの着任から始まり、CIAの作戦のことごとくが失敗し、挫折していく過程がヒロインの目を通して語られていく。最初は捕虜の拷問にショックを受けていた彼女も、やがてさまざまな経験を経ながら筋金入りへと姿を変えていくが、ビンラディン発見までの長い道のりは、その渦中に身をおくヒロインの 冷血 という異名を反映するかのように、クールかつ抑えたタッチで描かれていく。そういう意味では、同じくCIAの作戦のひとつを緊張感たっぷりに描きながらも随所にハリウッド調が顔を出す〈アルゴ〉とは対極といえるだろう。クライマックスに待ち受ける二機のブラックホークを使った軍事行動も臨場感があり、終始息詰まる展開が途切れないが、幕切れの余韻は、サクセス・ストーリーのカタルシスとはほど遠い。悪漢を懲らしめるつもりが、いつの間にか正義は曖昧なものとなり、復讐の空しさにすり替わってしまったかのような虚脱感が観る者の心に忍び寄ってくるのだ。(★★★1/2)
なにも「移民の歌」をオープニングに使った〈ドラゴン・タトゥーの女〉の向こうをはったわけではないだろうが、「二十一世紀のスキッツォイド・マン」が絶妙のタイミングで鳴り響く〈脳男〉が素晴らしい。いうまでもなく乱歩賞を受賞した首藤瓜於の同題作が原作だが、刊行間もない頃から映画化の企画はあったらしく、十二年という短くはない熟成期間を隔てそれがかなった形だ。その間のさまざまな試行錯誤により、大胆な脚色も加わった本作は、もうひとつの「脳男」と呼びたくなる仕上がりになっている。
痛覚も感情もないが、とてもない記憶力と身体能力を発揮する主人公の存在感がすべて、といいたくなるほど、脳男こと生田斗真の冷たさが出色。しかし彼に対峙する同性愛者で快楽殺人者の汚れ役を演じる二階堂ふみも強烈なインパクトで一歩も譲らない。火花を散らす両者の間にあって、物語の重要なエピソードを担うのは精神科医の松雪泰子だが、瀧本智行監督の演出は、三人をめぐってもつれにもつれる人間関係を巧みに操りながら、壮絶なクライマックスへ導いていく。続編への布石ともとれるラストは、二十一世紀の新たなダークヒーローの誕生の瞬間をとらえた印象的なシーンといっていいだろう。(★★★1/2)
アーサー・ヘイリー原作の〈大空港〉に始まるエアポート・シリーズを引き合いに出すまでもなく、航空機を襲う災害や機上のアクシデントを扱った映画は、かつてハリウッド映画のドル箱だったが、久々に新手が加わった。ロバート・ゼメキス監督の〈フライト〉である。ベテラン・パイロットのデンゼル・ワシントンは、あるとき自身が乗り組んだ旅客機が激しい乱気流に呑みこまれ、操縦不能の状態に陥る。しかし適切な判断と優秀な技術で不時着に成功、奇跡的に大惨事を免れる。マスコミから英雄に祭り上げられるが、血液検査でアルコールが検出され、一転して彼は裁かれる身となってしまう。
乱れた私生活を送る主人公がアルコールの問題を抱えていることは冒頭から明らかにされ、主人公(すなわち犯人)の視点から事件の推移が描かれていく。倒叙ミステリの手法を思わせる、というやや穿った見方も可能だろう。中盤から、ヒューマニズムやロマンスの方向に流れてしまうのが、やむをえないこととはいえ、ちょっと残念な気もする。ミステリ・ファンのないものねだりかもしれないが、前半にある超絶の背面飛行シーンに匹敵する手に汗握る法廷場面(公聴会)があれば、さらに面白かったと思うのだが。(★★★)
過去に五作(短篇も含めると七作)が製作され、次作も間もなく公開予定という〈ワイルド・スピード〉シリーズで刑事役をつとめるポール・ウォーカーの最新主演作〈逃走車〉は、ふるったコピーがすべてを語っている。すなわち、「乗ったらいきなり指名手配!」。前科者のポール・ウォーカーは、別れた妻とよりを戻すため、彼女の暮らす南アフリカのヨハネスブルグにやってきた。しかし、レンタカーの配車間違いから、とんでもない厄介ごとに巻き込まれる。刑事を名乗る人物から連絡が入り、主人公は指定の場所へと向かうが、その途中で後部座席からは手足を縛られた女(ナイマ・マクリーン)が転がり出て、警察の上層部を巻き込んだ汚職事件を知らされる。
車内搭載カメラからの視点を多用した作りがユニークかつサスペンスフル。主演やカースタントだけでなく、製作にも名を連ねたポール・ワイルドスピード・ウォーカーの面目躍如といっていいだろう。新人の初々しさを残したムクンダ・マイケル・デュウィルの演出も切れがいい。(★★★)
※★は四つが満点(BOMBが最低点)です。