追悼

東江さんの翻訳者パラダイス

伏見威蕃

 もう十数年前のことですが、酒場で気の合う仲間と話をしていて、沖縄に翻訳者パラダイスを共同でつくったらどうかという案が出ました。歳とると寒いのがつらくなるので、その前に常夏の島に移住しよう、というわけです。
 さいわい東江さんには、石垣島で自然農業をいとなんでいる高校時代のお友だちがいる。彼は農地をひろげたいと思っている。そこで、視察旅行をしよう、ということになりました。
 タイミングよく台風も避けられて、男ふたり、石垣空港におりたちました。いや、石垣島はいいところです。迎えにきてくれたお友だちの車で、あちこち案内してもらいました。といっても男ふたりでは、ビーチで日光浴するでもなく、カヤックを漕ぐでもなく、きれいな風景を見てまわっただけです。
 石垣島は喫茶店や飲み屋が人口のわりには多く、それがどうして成り立っているかというと、お店をやっているひとが、よそのお店のお客さんになるかららしい。お友だちのお母さんも上品な喫茶店をやっていました。ただ、書店はすくなそうです。ビーチパラソルの下で、ウィスキイをなめながら難しいル・カレを読むなんていう贅沢もいいと思うのですが……いや、まだまだ仕事をやらねば、老後の資金を稼がねば……。
 お友だちの家に泊めてもらい、東江さんとぼくが多少の料理をして、一宿一飯の義理を果たしました。候補地も視察したのですが、どうやらお友だちは座業のわれらを「たまには体を動かさんと」と恰好の労働力と見なしていたようです。まだお坊ちゃんが中学生くらいで、その下のお嬢さんたちは小さかったから。
 そんなこんなで、石垣島各地を漫然と視察し、ソーキそばを食べたり、マイクロブリュワリーで地ビールを買ったりして、無事に帰途につきました。
 大ベストセラーでもあれば実現したのでしょうが、おたがい、いろいろと物入りもあり、翻訳者パラダイスの話は立ち消えになりました。でも、その話をした仲間のなかには、その後、地方に自分のパラダイスを築いたひともいます。
 そして、東江さんは、ほんものの翻訳者パラダイスに行きました。そこでは締め切りもなく、好きな本をじっくりと訳すことができます。クリスチャンになった東江さんが最後に見た夢は、そんな光景だったにちがいありません。