新入会員紹介

入会のご挨拶

川奈まり子

 はじめまして。この度、入会させていただきました川奈まり子と申します。
 昨年末、拙著が十冊をこえ、そろそろ作家を名乗ってもいいだろうかと思っていた矢先に、鈴木輝一郎先生よりお声掛けいただき、協会の末席に加えさせていただこうと存じました。
 ご推薦を賜りました真保裕一理事、鈴木輝一郎先生に、この場をお借りいたしまして篤く御礼申し上げます。
 また、山村正夫記念小説講座の名誉塾長・森村誠一先生ならびに山口十八良先生のご指導ご鞭撻にも心より感謝している次第です。
 既刊の拙著には官能小説が多いのですが、山村正夫小説講座ではジャンルを問わず四年間にわたり習作を重ねて参りました。また、この夏にはそれぞれ別の出版社からホラー小説と私小説を上梓する運びでもあり、今後も官能・ホラー等ジャンルを問わず、出来得るかぎり長く書き続けていく決意です。
 どうぞ宜しくお願い申し上げます。
 ……と、なんとか挨拶文らしきものを書こうとしているわけですが、私はちゃんとした挨拶というものが大の苦手で、はたしてこれでいいのだろうかと、今、大変心もとなく思っております。
 鈴木先生や森村先生に後でお叱りを受けるのではないか、また数々の名挨拶を読みつけている当協会のスタッフさんたちから「締め切りギリギリに提出してきてこれ?(笑)」と呆れられ、あるいはボツにされてしまうのではないかと不安でなりません。
 そもそも私は社会人としての訓練がおよそ出来ておらず、挨拶がおぼつかないだけではなく、請求書や領収書の書き方すらいまだにしょっちゅう間違うありさまです。
 なぜそんなことになったかというと、その原因はひとえに私のこれまでの生き方にあると言えましょうか。
 初めのつまづきは中学受験に失敗したことです。それで受験勉強恐怖症に罹り、高校は女子美大の付属しか受けませんでした。これで落ちればよかった。このとき落ちていれば「受験勉強やはり大事」と悟って、やり直すことができたと思うのです。ところが合格してしまった。これが第二の失敗でした。
 ろくに勉強せずうまいこと高校に合格してしまったことで、「私は勉強する必要がないほど賢いのだ」と勘違いしてしまいました。そこで、馬鹿なままエスカレーター式に短大へ進学し、阿呆なまま卒業することに。
 そんな調子ですから、バブル華やかなりし時代であったにもかかわらず、まともに就職できるわけがありませんでした。しかしながら、なにしろバブル期だったため、割の良いアルバイトにはすぐ就けましたし、しばらくバイトすると正社員にしてもらえたのでした。
 つまり私は時代に甘やかされました。甘やかされると人間が駄目になるのは必定。それから、ハンドバック屋、デパートの店員、出版社のレイアウター、興信所の探偵助手、テレビ番組のリサーチャー、ケーキ屋の売り子、ヘアメイク雑誌のモデル等々をしましたが、どれもこれも長続きしなかったことは言うまでもありません。
 とうとう働くことすらイヤになって最初の結婚をし、夫と一緒に足掛け三年ほど海外旅行をしました。そんな動機で結婚したせいかほどなく夫に嫌われ、おこづかいを貰えなくなったので、帰国後、しかたなく出版社で編集補助のアルバイトに就きました。その出版社でタウン誌にルポを書いたのがきっかけで、徐々に仕事を増やしていって、フリーライターになりました。
 フリーライターとして商業誌で書きはじめたのは、二十代の半ばのことです。
 当時私はとても地味で地道で底辺なライターでした。バブルは崩壊し、ついでに結婚生活も崩壊していました。追い詰められ、頑張るしかなかったのです。そのまま真面目にフリーライターを続けていればよかったですね。
 しかし、とにかく根が駄目なのか単に好き者だったのか、資料調べのついでにインターネットをウロウロするうち出会い系の掲示板サイトにハマり、殿方とデートというかエッチをたしなむようになってしまいました。
 何人目だったか忘れましたが、ある殿方が悪い奴だったのは不運なことではありました。ここは詳しく話すと長くなるので端折りますが、その殿方に私は騙されまして、「人間やめますか、それともAV女優になりますか」というところまで追い込まれたのでした。
 ま、それで、そのとき私は三十一歳でしたが、AV女優になりました。
 これも失敗と言えば失敗、つまづきと言えばつまづきでした。はっきり言ってAV女優にはなるもんじゃありません。あれは観るものです。
 AVなどに出演してヘタに有名になってしまうと、まず、社会的な地位というものが下がるというより、消えます。
 私の場合は、不幸にして私のクライアントはどちらかというと硬めの媒体が多かったので、フリーライターの仕事が激減しました。親戚から嫌われ、友人から絶交され、寄ってくるのはAVファンとロクデナシばかりになりました。当然住む所にも難儀するはずですが、不幸中の幸いでAV監督と深い仲になり、そしてそのAV監督がわけあって逃亡生活を送ることになったため、私も彼と一緒にホテルやウイークリーマンションを転々とするはめになり、住まいに困るどころではなくなりました。
 そうこうしながら四百本ほどのAVに出演し、写真集を出し、雑誌のグラビアに載り、テレビに出演したり、週刊誌にコラムを書いたりしました。
 そしてあるとき、某出版社さんより、私小説的なものを書かないかというお誘いをいただいたのでした。
 小説というのは読むのは大好きでしたが、駆け出しライター時代に三作書いて公募に出して全部落選してから書いておりませんでした。
 でも、せっかくお話を頂戴したので書いてみたわけです。
 それがやっぱりイケておりませんでボツになり、ボツが悔しくて山村正夫記念小説講座に入塾した仕儀です。
 小説講座には、まっとうな人たちが集っておりまして、先生方も皆さん人格者で、如何に駄目で愚かな私といえど多少感化されたのでしょうね。
 折良く、すでにAV業界からは足を洗っておりました。そこで私にしては真面目にコツコツ習作に励み、やがて小説を書くことに取り憑かれ、とうとう官能小説でデビューさせていただくことに相成りました。
 これを神様にいただいた更生のチャンスであると捉えて、以後は執筆活動に打ち込み現在に至ります。
 ちなみに官能小説デビュー作の担当編集者さんは、AV女優時代に週刊誌でエッセーを連載していたときの担当さんでした。そのせいというわけでもないのですが、私のペンネーム・川奈まり子は、AV女優時代の芸名と同じです。昔の名前で出ています。でも本人が書いてます。