入会のごあいさつ
はじめまして、清水由貴子と申します。このたび、伏見威蕃先生にお声をかけていただき、西上心太様、寺尾まち子様のご推薦によって、恐れ多くも日本推理作家協会に入会させていただくことになりました。この場をお借りして、心よりお礼を申し上げます。
縁あって、二年ほど前からイタリア語の本を訳しております。いわば駆け出しの翻訳者でございます。なぜイタリア語か、とよく訊かれるのですが、早い話が食い意地・飲み意地がエスカレートして、おいしさの秘密を知りたくてたまらなくなったのがきっかけです。とはいうものの、料理やワインだけでなく、イタリアの映画や音楽もこよなく愛しております。もちろん小説も。
すでにご存じの方も多いと思いますが、イタリアでは推理小説は「ジャッロ」と呼ばれています。これは「黄色」を意味し、一九二九年にモンダドーリという出版社が刊行を開始したミステリ・シリーズの表紙が黄色だったことに由来するのは有名な話です。ちなみに、こうした呼び方はイタリア固有のもので、フランスでは警察小説、ドイツでは探偵文学や犯罪小説と呼ぶのが一般的だそうです。
では、なぜ赤や青ではなくて、黄色だったのでしょうか。このシリーズの表紙には、物語の一場面のイラストが赤い丸で囲まれて描かれており、それを最も引き立てるのが黄色い背景だったという説もまことしやかに唱えられていますが、実際のところは、どうやら黄色しか残っていなかったという、やむにやまれぬ事情だったようです。
つまり、ピンクも緑も赤も虹色も青も紫も黒も、すでにほかのシリーズに使われていて、黄色しか残っていなかったという、なんともはや拍子抜けする話ですが、いまでは小説だけでなく、映画やテレビドラマもミステリなら「ジャッロ」と呼ばれています。もし当時、モンダドーリ社がミステリ・シリーズに緑色を採用していたら、「ジャッロ」というジャンルは存在せず、代わりに「ヴェルデ」だったのかもしれないと考えると、肉まんだと思って食べたらあんまんだったような気分になります。
ところでミステリといえば、私は昔からひそかに探偵に憧れていたのですが、先日、自分にはまったくその才能がないことを思い知らされる出来事がありました。
この四月から、わが子が晴れて小学生となりました。事前に何度か通学路を一緒に歩いたものの、保育園では朝夕、親が送り迎えをしていたため、はたしてひとりで帰ってこられるのか心配でたまりません。そこで学童保育の初日、終わる時間を見計らって、私は道行く人に怪しまれながらも電柱の陰に隠れて見張っていました。やがて出てきた息子。なぜか走っています。慌ててあとを追いましたが、最初の信号で早くも足止めを食らい、西日に目を細めた瞬間、横断歩道を渡ったはずの息子を見失ってしまいました。
あせって捜しまわっていると、息子はひょっこり現われ、何ごともなかったようにすたすたと歩きはじめました。間一髪で顔を隠した私は、ふたたび尾行を開始。すでに汗をかきながら、通学路とは異なる道を行く息子のあとを追いつづけ、途中、駐車場などで道草を食うのを歯がゆく思いながらも、ようやく自宅の手前の坂道まで来ました。
その百五十メートルほどの坂道は線路沿いにあり、視界を遮るものはいっさいありません。用心深く待って、息子が上がりきるのを見届けてから上りはじめたとたん、彼がくるりと振りかえり、こちらに向かって手を振りながら駆け下りてきて、私の尾行はあえなく失敗に終わった次第です。
ちなみに、信号で見失ったときにどこにいたのか尋ねたところ、「コンビニでトイレを借りていた」と、とても新一年生とは思えない答えが返ってきて仰天したのでした。このように、母親としても翻訳者としても未熟者の私でございますが、なにとぞよろしくお願い申し上げます。