入会のご挨拶
このたび、日本推理作家協会に入会させていただきました、麻根重次と申します。
昨年3月に、『赤の女王の殺人』で島田荘司選第16回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受賞し、講談社からデビューしました。こうして偉大な諸先輩方の中に加えていただけること、心より嬉しく思います。今後とも何卒、ご指導ご鞭撻のほどをお願いいたします。
私の祖母は、児童文学作家でした。決して全国的に知名度のあるような作家ではありません。還暦を過ぎ、現役を退いてからのデビューであり、地方でささやかな執筆生活を送っておりました。しかし、子どもの頃の私にとっては自慢の祖母でした。学校の、あるいは地元の図書館に行くと、祖母の書いた本が置いてある。それを自分の友達が読んでいる。なんて凄いことだろう、と子どもながらに高揚したのを覚えています。思えばそれが私の、作家への憧れの原点だったかもしれません。
時が過ぎ、自分にも子どもが生まれた頃、ふと思い立ってミステリ小説を書くようになりました。初めて書き上げた作品を誰かに読んでもらいたい。そう思ったときに思い浮かんだのが、当時齢90に近く、執筆活動からも引退していたその祖母でした。考えてみれば、そんな高齢の祖母に20万字以上ある作品を読めというのも無茶な話だと思います。ところが、なんと祖母はたった一晩でそれを読んでしまったのです。彼女に原稿用紙の束を渡した翌日の夜、私の元に電話がかかってきました。
「原稿、全部読んだよ。とても面白かった」
彼女はそう言って、私の拙い小説をとても褒めてくれました。今思えば、孫の書いた作品ですから、褒めない筈はありません。しかし私は、その言葉にとても勇気をもらったのをよく覚えています。
祖母はひとしきり感想を述べた後、こう付け加えました。
「あなたには文才がある。初めてでこれだけ書けたのだから。その才能の芽を大事にして、いつか花開かせてちょうだい」
とはいえ、その後の執筆活動は決して順調だったとは言い難いでしょう。初めて書いたその作品を新人賞に応募し、箸にも棒にも掛からぬ一次落選。その結果を受けて、「やっぱり厳しい世界だな」と半ば諦めてしまった私は、しばらくの間公募からは距離を置き、Web小説を書く等して過ごしておりました。
転機が訪れたのは、ある時偶然に、「福ミス」の存在を知った時でした。かねてから大ファンだった島田荘司先生が一人で選ぶ、本格ミステリの賞。しかも最終選考に残ると、島田先生からの長文の選評がいただける。
どうしてもこの賞に応募したい。
私はそこでまた新人賞へのチャレンジを決意します。既に書き上げて眠っていた『赤の女王の殺人』の原稿を手直しし、福ミスへと応募しました。それが最終選考に残ったときの喜びと、その後の受賞の連絡を受けるまでの緊張は、およそ私が人生で味わったことのないほどのものでしたが、仔細に書くには紙幅が足りませんので割愛します。ともかく、『赤の女王の殺人』は、島田先生に選んでいただき、受賞という望外の栄誉を頂戴しました。それは、祖母がこの世を去ってから2年半ほど後のことでした。
もう少し早く、祖母が健在のうちにチャレンジしていればよかった。頭の片隅をよぎる、そんな一抹の後悔と共に、刊行されたデビュー作を持って墓前に報告に行ったとき、祖母の懐かしい声が聞こえた気がしました。
「ほらね、あなたならできるって思ってたよ」
さて、デビューから早くも1年が経ちましたが、今年1月に上梓した第2作、『千年のフーダニット』が思いのほかご好評をいただいております。この作品では、デビュー作の雰囲気からはかけ離れ、千年間のコールドスリープというSF的な設定を題材とした、特殊設定ミステリに挑みました。
元々、島田先生をはじめとした本格ミステリに傾倒していた学生時代でしたが、さらに遡ると、私の読書遍歴では、ポストアポカリプスやスチームパンク、あるいはディストピアといった退廃的な雰囲気をもつSF作品も大きな比重を占めています。そういった意味で、この作品は私の好きなもの同士を掛け合わせて生まれた、いわば麻根のエッセンスを煮詰めたような一作となっています。好みは分かれるとは思いますが、私個人としては、この特殊設定ミステリというジャンルには、ミステリ小説をより広い世界へと連れていってくれるようなポテンシャルがあるのではないかと感じています。もちろんこれに拘泥するつもりはありませんが、今後の作家人生(いつまで続けられるかは神のみぞ知るところですが)の中で、是非ともチャレンジしていきたいジャンルだと考えております。推理作家協会には、SFをメインに執筆していらっしゃる先輩方も何人かおられるようで、そういった方々との交流ができることも密かに楽しみにしています。
今後も、読者の方が楽しいと思っていただけるような作品を作り上げるべく、精進していきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。