追悼・白川道氏
人の倍生き急ぎ、凌ぎきった人生
白川道さんが書き下ろし長編小説『流星たちの宴』で鮮烈なデビューを飾ったのは一九九四年、いまから二十一年前のことだ。当時、私は神楽坂下の書店「深夜プラス1」で、面白いミステリーが出ると常連のお客さまにいち早く薦めることを、なによりも楽しみにしていた。新刊を入手すると、店頭に並べるのももどかしく自分用に買って読むのが常だったが、編集者の方からゲラをいただくことも多かった。
残暑が続くある日、新潮社のSさんが、「今度、凄いのが出るんですよ」と愛おしそうにカバンから取り出したゲラが、白川さんのデビュー作だった。「彼は本物です」と断言するように微笑んだ自信満々の表情は、いまでも覚えている。
実際、『流星たちの宴』は「本物」だった。Sさんから白川さんの経歴はそれとなく聞いていたが、実体験を基にしたこの迫真の相場小説は、獅子文六や清水一行のそれとは、随分、趣を異にしていた。東映ヤクザ映画で言えば、任侠映画と実録路線くらいの違いがあった。いまから思えば、斬れば血が出る等身大のヤクザを描いた深作映画を、よりスタイリッシュにしたタランティーノの映画に近い。読んでいる最中、血が滾るほどの昂奮を覚えた。すぐさまSさんに熱い感想を伝えたのは、言うまでもない。
デビュー作の出版記念会に呼んでいただいたのは、そんな縁があってのことだろう。
初めてお会いした白川さんは、上下白のスーツで決め、オールバックの髪が日焼けした顔によく似合っていた。まるでその筋か、芸能人のような出で立ちではあったが、ときおり見せるシャイな笑顔が、非常に魅力的だった。
その後、白川さんとは度々お会いした。文壇のパーティでお見かけしたことはないが、雀荘では何度か鉢合わせした。別々のメンバーで訪れた雀荘がたまたま同じ、という偶然が続き、お互い顔を見合わせ苦笑いした記憶がある。レートが違いすぎて同じ卓を囲んだことはないが(時効だからかまわないと思うが、白川さんは自伝的大河ギャンブル小説『病葉流れて』の主人公が打つ麻雀と、まさに同じレートで打っておられた。一晩負けると、国産の高級車が買えるような金額である)、後ろから打ち筋を拝見させていただいたことはある。
出版社主催の麻雀大会の決勝卓、苦しい展開を淡々と凌ぎ、潮が満ちるのをじっと待つように、静かに摸打(モウター)を繰り返す姿が印象的だった。
作家になった経緯を、白川さんはエッセイでこう書かれている。
「社会から弾き出されて残ったのはこの道しかなかった」(『道徳不要 俺ひとり』)
照れも衒いもなくそうなのだろう。白川さんは局面、局面で、淡々と、しかし見事に、人生を凌いでこられた。
自分は二十歳のころから人の倍、生き急いだから、とよくおっしゃていたそうだ。だとすれば五十年、人より多く生きた勘定になる。
あの世の雀荘でお見かけしたら、生意気なようだが、大往生でしたね――と、ご本人に申し上げたい。