「幻影城と島崎博、泡坂妻夫」
土曜サロン・第二〇五回 二〇一五年五月二日
五月の土曜サロンは会場を豊島区立中央図書館に移し、スピーカーは『幻影城』を研究している野地嘉文が務めた。泡坂妻夫さんが生前、南大塚に住んでいた縁で、毎年四月から五月の二ヶ月間、豊島区立中央図書館は「泡坂妻夫展」を開催している。今回の土曜サロンの目玉は泡坂展に展示されてい
る、直筆原稿や創作ノート、紋章上絵師の仕事で使っていた紋型、楢喜八氏が描く挿絵原画などの見学である。注目を集めたのは台湾の新雨出版社『幸福之書』。泡坂妻夫の傑作『しあわせの書』の繁体字翻訳であるが、ラストで明かされる超絶趣向が翻訳でも実現されていることに騒然となった。『幸福之書』は展示終了後も図書館に開架されているので、ご興味がおありの方はご確認いただければと思う。
そのあと、参加者は会議室に移動し、島崎博さん、泡坂妻夫さんの年譜を参照しながら、野地から「幻影城と島崎博、泡坂妻夫」の話が行われた。島崎さんと泡坂さんはともに一九三三年生まれ、島崎さんが台湾から日本に留学した一九五五年は、台湾海峡危機が勃発した頃で、台湾と大陸中国との間に緊張が高まっている時期だった。島崎さんは日本に着いたその日に古本屋で『別冊宝石』を購入、コレクターとしての第一歩を踏み出している。更にその頃、のちに雑誌『台湾青年』編集長となる王育徳氏の元で台湾独立運動も始めている。一方、泡坂さんが邪宗門奇術クラブに入会したのが一九五七年であり、同時期に趣味の世界に足を踏み入れている。
島崎さんが『宝石』に書誌を寄稿しはじめたのは一九六二年から、一九七二年には『定本三島由紀夫書誌』を刊行するなど書誌学者として成果を挙げた。泡坂さんも一九六八年に第二回石田天海賞を受賞し、初の著書である『ゾンビボールの研究』を刊行、マジシャンとして充実期を迎えている。
一方で、島崎さんは台湾独立運動としての総決算『台湾史叢書 日本統治下の民族運動』を刊行(一九六九年)するが、その頃から徐々に独立運動から距離を置きはじめた。自分のポジションを書誌に絞ろうとしたのがこの時期なのだろう。独立運動から離れた背景として、一九七二年の日中国交正常化があったと考えられる。台湾政府との関係も改善され、一九七三年には台湾の行政院新聞局から招待を受け、中島河太郎、山村正夫らと共に台湾を訪れている。
一九七五年には探偵小説専門誌『幻影城』を創刊。翌年、泡坂妻夫がデビュー。一九七九年の『幻影城』休刊後は島崎さんは台湾に戻り、一時行方不明といわれていたが、一九八六年、仁木悦子が『推理雑誌』発行人の林仏児の訪問を受けたのを機に一時消息が判明した。土曜サロンでは、その時、仁木さんが島崎さんに送付した手紙も紹介された。
一九八七年に島崎さんが希代書版から刊行した『日本十大推理名著全集』によって、台湾に第一次推理小説ブームが到来したが、島崎さんは九十年代は文筆活動を行っていない。島崎さんが復活したのは二〇〇〇年の『漂流街』(馳星周)の解説からで、現在でも台湾でご活躍である。
今回の土曜サロンには泡坂さんのご遺族である妹の厚川環さん、次女の厚川文美さんもご参加いただき、泡坂さんの思い出話を頂戴して土曜サロンを終了した。
今年は『幻影城』創刊四十周年を迎え、五月に高輪の啓祐堂ギャラリーで幻影城ゆかりの画家たちによるグループ展『ミステリーの愉しみー『幻影城』創刊四十周年記念展』が開催される。
豊島区立中央図書館の泡坂展は五月下旬で終了だが、次いでやはり池袋に在住していた『大下宇陀児展』が開催される。豊島区立中央図書館は東京メトロ有楽町線東池袋駅のすぐ上で交通の便もよく、午後十時まで開館しているため、ご興味があれば足を運んでいただければと思う。
野地嘉文
(出席者)石井春生、末國善己、平山雄一、本多正一、松坂健、水島裕子
(オブザーバー)厚川文美、厚川環、竹上晶、鍋谷伸一、松川良宏、松坂晴恵、田中正幸、狩野由美子