『入会のご挨拶』
日本推理作家協会の皆様、はじめまして。昨年七月に入会いたしました、逸木裕と申します。ご挨拶が遅れ申し訳ございません。
第三十六回横溝正史ミステリ大賞を『虹を待つ彼女』という作品でいただき、二〇一六年から作家として活動しております。まだ著作はこちらを含め二冊しか出ておらず、作家と名乗るのも心もとない状態でございますが、今後どんどんと書いていきたいと考えておりますので、よろしくお願いします。
本格的に創作活動を行っているのはこの三、四年ほどのことでございますが、それまで二十五年以上、読者として文芸に携わってまいりました。ちょうど中学生のころに新本格推理小説の傑作が次々と文庫化されていたのと、『このミステリーがすごい!』をはじめ様々な入門書、ブックガイドが発売されていたのとで、本格ミステリから冒険小説、ハードボイルドからホラー、SFまで、割と分け隔てなく読んできたと思います。
そんな中で読書の中心にあったのは、常にミステリでした。過去の作品で面白いのがあると聞けばそれを読み、好きな作家の新刊が出れば買って読み……と、言うなれば人一倍「謎」というものに魅せられてきた人生を送ってきたとも言えます。そして、作家として活動するようになり、ミステリを作り手の側から見るようになってから、ぼんやりと考えていた「人はなぜ謎に惹かれるのか」という謎に思いを馳せる局面が増えてきました。
ミステリを書くというのは、どこかマッチポンプ的なところがあります。作者は自ら謎を作り、その解決も自ら書きます。すぐに解いてしまっては物語になりません。そこに至るまでの障害も作者が自ら設定し、手がかりをちりばめ、登場人物を動かして解かせていく。傍から見ていると、自分で作ったクイズをうんうんと悩んだふりをしつつ自分を解いているような、少し滑稽な光景のようにも見えます。こんなことをやっていて読者がきちんとついてきてくれるのか、心配になることもあります。
そんなときに支えになってくれるもののひとつが、「人はなぜ謎に惹かれるのか」という問いです。
身も蓋もない言いかたですが、ミステリ小説を読んだからといって、特に読者にとって人生の役に立つことはありません。リーマン予想やフェルマーの定理のような数学界の難問は、解ける人類に貢献をすることができますが、それもない。家族や友人を豊かにすることもありません。
それでも世のミステリの読者は、数々の謎にぶつかり、それを登場人物と一緒に解いてきました。なぜ読者はこんなことをしているのか。それを考えたときに、謎を解くということはほとんど、人間の本能に近いのではないかという思いにとらわれます。
古代の世界では、謎を謎のまま放置しておくことは、すなわち命の危険につながっていたと思われます。例えば、暗闇の向こうに光るふたつの目。その正体がなんなのかを放置していては、突然獣に襲われて殺される可能性だってあったはずです。風に乗って伝わってくる火の匂い。それが侵攻してくる他部族の宿営だと気づかなければ、自分たちの部族が全滅する危険性だってあったはずです。
つまり、古代の人間は、謎を解くことで生存を図ってきたのではないでしょうか。反対に言うと、謎を解かなかった種属は淘汰され、きちんと謎を解いてきた人々のみが生き残り、営々と子孫を残してきたのではないでしょうか。だとすると、その末裔である我々が謎に惹かれ、ミステリという文化を作ってきたのは、当然の帰結といえるのかもしれません。
ともあれ我々は謎を作り、それを解いて楽しむという素敵な文化を手にすることができました。作者として悩みが出てきたときはここに立ち返り、人間の「謎を解きたい」という内なる声を信じながら、ひとつずつ物語を書いていきたいと思います。今後ともご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします。