日々是映画日和(121)――ミステリ映画時評
つい最近、同じくイギリスのゼロ年代を背景にしたミネット・ウォルターズの小説に解説を寄せたこともあって強い印象を受けたのが、五月公開予定の『オフィシャル・シークレット』だ。アメリカ同時多発テロに端を発するイラク戦争にまつわる秘話で、英国政府通信本部の翻訳分析官(キーラ・ナイトレイ)が、開戦前夜、安保理の評決の操作を企む米の国家安全保障局の陰謀をリークしたことで、権力から不当に責め苛まれる物語だ。正義か国家への反逆かをめぐり揺れ動くヒロインの苦悩が克明に描かれるが、政府首脳を実名で糾弾することを躊躇せず、事件の深層をサッチャー政権の過去にまで遡るなどの懐の深さもある。社会性を追求する作品のひとつとして、お手本のレベルにあると感じた。
さて、リュック・ベッソンの新作は、ニキータ、コロンビアーナら女殺し屋の系譜に属する物語で、その名も『アナ』。スカウトの目にとまり、モスクワの市場でマトリョーシカ人形を売っていたサッシャ・ルスは、パリのファッション界でみるみる売れっ子モデルにのし上がって行く。だが実は彼女は、KGBの殺し屋だった。言い寄る男が祖国を裏切る武器商だと見抜くと、即座に手を下した。
その三年前、麻薬浸りの堕落した生活から抜け出すため、彼女は父親がかつて属していた海軍を志願、そこで謎の男ルーク・エヴァンスの勧誘を受け、一定の任務を終えたら自由の身という条件で、特別な軍事訓練を受ける。やがて持ち前の頭脳と身体能力で腕をあげ、上司のヘレン・ミレンの配下で殺しの任務に就くが、長官からは自由への切符をあっさりと反故にされてしまう。そんな折、あるミッションのさ中に、CIAの捜査官キリアン・マーフィが銃を構える彼女の前に立ちはだかる。
マーシャルアーツに学び、ロシア映画を研究したというアクション・シーンもさることながら、セールスポイントは時間の流れを自在に行きつ戻りつする時系列入れ替えの旨さだろう。挿入される過去シーンがミステリの興趣を誘い、テンポの良さに繋げていく。もう一つ、男女の三角関係にも似たアナ、KGB、CIAの三竦み状態からの展開が鮮やか。ヘレン・ミレンの絡む最後の一手までが見事に決まる。ベッソンのミステリ系アクション映画として屈指の出来映えだろう。(★★★1/2)*五月八日公開予定
ご存じの通り一九九七年の中国への返還で香港のイギリス領時代は終わったが、『追龍』は警察の実権をまだイギリス人が握っていた時代の物語である。一九六〇年、中国の潮州から仲間とともに不法移民として香港に流れてきたドニー・イェンは、助っ人として雇われたやくざ同士の抗争で逮捕される。その時救いの手を差し伸べたのが縁で、警察官のアンディ・ラウは彼と持ちつ持たれつの関係になった。統治者イギリス人との確執に苦しみながら、それぞれの世界で出世していく二人だったが、七四年、時代の風向きが大きく変わる。警察官の腐敗を取り締まる廉政公署が設立され、深い絆で結ばれた二人にも訣別の時が迫っていた。
警察と黒社会(香港マフィア)というテーマが、かつての香港ノワール全盛の時代に心地よくタイムスリップさせてくれる。あちこちに大味なところもあるが、二大スターの初共演という眼福も手伝って、濃やかに描かれる男たちの友情の物語は、往年の香港映画ファンならずとも楽しめるだろう。しかしモデルとなっている二人は実在の人物で、映画中の警察官の汚職も史実と違わぬという。そこからは、昨今の民主化デモへの弾圧や、暴力組織との繋がりなど、同国の警察組織は二十一世紀の今もほとんど変わっていないという現実も見え隠れする。いや、そんな司法当局の腐敗は、香港に限っての問題ではないのかもしれないが。(★★1/2)*六月二六日公開予定
これまでもミステリ映画の秀作を世に送ってきたインド映画界だけど、歌って踊るミステリ映画というのはほとんど聞かない。それをやってのけたのが、スジート監督の『サーホー』だ。かつて悪の帝国を牛耳り、今は再生エネルギーの事業に乗り出す企業の会長が暗殺されるのが発端である。一方ムンバイでは謎の窃盗団が逮捕されるが、実行犯は首魁が誰かを知らず、捜査は五里霧中に。市警幹部の要請で知る人ぞ知る伝説の覆面捜査官アショークが呼ばれ、型破りの捜査が始まるが。
主演が、『バーフバリ』とその続編のプラバースと言えば、三時間弱の全編に、歌とダンスも散りばめられてという展開を、イメージしやすいかもしれない。大胆不敵な大技の炸裂にも意表を突かれるが、冒頭におかれた悪徳企業の会長暗殺のエピソードが、終盤で再び浮上してくる展開も見応えあり。ボリウッド映画名物のお祭り騒ぎとミステリ映画の妙味がひと粒で二度楽しめるお得な一本ともいえる。(★★★1/2)
原田芳雄の家に集まった故人の仲間の呑み会から始まったという阪本順治監督の『一度も撃ってません』だが、この人が主演というだけで思わず頬が緩む石橋蓮司を、これでもかという豪華な共演陣が包囲する豪華絢爛なハードボルド・ミステリ(?)だ。売れない老作家の市川には、妻には言えない別の顔があった。その晩もなじみのバーに足を運んだ彼は、常連客の一人から殺しの依頼を受ける。彼のもう一つの仕事は殺し屋だった。しかし、実は小説の中以外では銃を撃ったこともなく、毎度殺しは下請けに出していた自称殺し屋だったのだ。
深読み好きの観客(つまり私だ)は、作家/殺し屋の二役を主人公が行き来するメタフィクションと見誤るかもしれない。しかし本作はコメディ・タッチのパロディである。多彩な出演者の中では、中国人のヒットマンになりきる豊川悦司や、妻夫木聡と井上真央の軽薄なカップルぶりがいいが、極めつけは桃井かおりだろう。主人公の妻大楠道代との対決シーンや、見えそうで見えない謎めいた関係性がちらつく岸部一徳や主人公とのやりとりなど、独特の掴みどころのない存在感が炸裂、ややもすると主役の石橋をも喰いそうになる。脚本も演出も出演者にベクトルが傾くという一種の逆転現象が起きているが、とにかく役者たちが楽しそうで、それがスクリーンのこちら側にもよく伝わってくる。こういう映画があっていいと思う。(★★1/2)*近日公開
※★は最高が四つ、公開日記載なき作品は、すでに公開済みです。