追悼

島崎博さんの思い出

権田萬治

 島崎博さんは台湾人だが、日本の戦前・戦後の探偵小説、推理小説の雑誌、小説、研究・評論などの最高のコレクターだった。 
 私は二十代の中頃にワセダミステリ・クラブの創設者であった仁賀克雄さんの紹介で、島崎さんと知り合い、仲良くなって、日本滞在中の身元保証人になった。そんなこともあって、氏が創刊した『幻影城』という雑誌には当初から終刊まで関わり、その後氏が台湾に帰国した後も、親しく交流していた生涯の友だった。
 一九七五年二月創刊された探偵小説専門誌と銘打った『幻影城』は氏の膨大なコレクションを基に当時は一般の人にはほとんど読めなかった戦前の探偵小説の名作や埋もれた作品のリバイバル掲載を中心にすること、それらの研究評論を重視することを目指すことになっていた。しかし、創刊の言葉を書く時に意見を求められた際、私がリバイバルばかりで新しい作家を発掘しないと行き詰まる恐れがあるというと、それを受け入れてくれた。
 幻影城新人賞が創設された際、横溝正史、中井英夫、都筑道夫という錚々たるメンバーと共に若僧の私が選考委員の末席を汚すことになったのはこういう経緯からだった。
 この賞から、直木賞作家の泡坂妻夫、連城三紀彦をはじめ、さらには後にスペース・オペラなど壮大なファンタジーで多くの読者を集めることになる田中芳樹など数々の個性的な作家が誕生した。
 島崎さんは膨大なコレクションを武器に探偵小説の復権に努めるとともに、優れた鑑賞眼と非凡な編集感覚で受賞作家以外にも竹本健治などの個性的な作家を育てたこと、創作と並んで評論・研究を重視し、連載後にはこれを刊行して、二上洋一や私など新しい評論家の育成に努めたこと、、また、日本に謎解きを重視する《新本格》という独自の流れを生む土壌を作るなど、大きな功績があった。
 私も同誌に連載した『日本探偵作家論』によって推理作家協会賞を受賞した一人だが、これは氏の膨大なコレクション無しでは絶対に書けないものであった。
 また、島崎さんは台湾に日本のミステリーを紹介するとともに、台湾に推理作家を育てる上でも貢献しており、台湾推理作家協会賞を受賞している。
 雑誌の評価には、色々意見があるだろうし、推理小説観も島崎さんと私では微妙な違いがあった。が、私にとって島崎さんと雑誌『幻影城』は、私の青春時代から中年に至る時期を彩る大きな存在であった。
 島崎さん、長い間本当にありがとう。ゆっくりお休みください。さようなら。