新入会員紹介

書くべき物語

潮谷験

 このたび推理作家協会へ入会させていただきました、潮谷験と申します。
 今年九月の推協フェスティバルに出席された方は、最後のトークイベントで、佐藤究さんを相手にしどろもどろな受け答えに終始していた挙動不審な登壇者を憶えておられるかもしれません。あれが私です。
 私が生まれて初めて読んだ推理小説は、摩耶雄嵩さんの『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』でした。古今東西のあらゆる推理小説のエッセンスが詰め込まれた宝箱のような名作です。同作はそれまでミステリーと言えばドラマのサスペンス劇場くらいしか知らなかった私にカルチャーショックを与えただけでなく、推理小説の扉を開くナビゲーターの役割を果たしてくれた一冊でもありました。作中でエラリー・クイーンやディスクン・カーについて言及されており、解説では日本の推理小説も紹介されていたからです。
 読了後の私は、海外の戦前・戦後の本格ミステリーと、本邦の新本格ミステリー作品を並行して買い求めました。私が手に取った『翼ある闇』は講談社ノベルス版であったことから、当時このレーベルを席巻していたメフィスト賞受賞作品にも興味を惹かれ、その多様さ、とんでもなさに衝撃を受けました。
 自分も推理小説作家になりたい。これまでに影響を受けた名作に倣い、奇想天外さと、論理や展開の筋が通っていることを両立させた作品を作り上げてみたい!そんな想いから私は推理小説を書き始めました。それは大変困難な試みでした。実際にデビューを果たすまで、二十年の歳月が必要でした。
 影響を受けた先達の作品が個性豊かなものばかりであったため、自分も特色を磨き、唯一無二の傑作を世に送り出してやろうと息巻いていたのですが、その個性の出し方に苦労したのです。何を書いていいのか迷うようになり、書き始めても数ページで断念してしまうような日々が続きました。しかも同年代の作家さんは西尾維新さん、乙一さん、辻村深月さん、綿矢りささんなど早熟の天才が多く、あの人たちは大活躍しているのに私は……と身の程知らずの劣等感だけ大きくなり、鬱屈とした思いを抱えながら年齢を重ねてしまいました。
 けれども、加齢は悪いことばかりとも限りません。自分で自分に過剰なプレッシャーをかける傾向や、作家として身を立てるにはこうあらねばと思い込む視野の狭さのようなものが年月に洗われ、いつしか頑なさがストンと消え去っていたのです。先人を越えるとか、自分だけの特色を作ろうとかいった気負いはとりあえず棚上げにして、単純に自分が面白いと思う要素だけを詰め込んで掻き上げた『スイッチ悪意の実験』で第六十三回メフィスト賞を受賞、推理小説作家としての第一歩を踏み出すことが叶いました。
 デビューから一年半が経過した現在、ありがたいことに長編四作品が刊行されています。これまで無我夢中で執筆を続けてきましたが、書評家の方や読者の皆さんの意見を見ているうちに、自分がどういう作品を書いている作家なのか、ある程度客観的に評価できるようになりました。
 私の作品には時間の巻き戻り現象や薔薇の形をした腫瘍が生じる奇病など、現実には存在しない要素が登場して推理に関わることがあります。そのため近年、注目され始めた「特殊設定ミステリー」の書き手として紹介いただくこともあるのですが、全ての作品に非現実の設定が加味されているわけでもないため、「私は特殊設定ミステリー作家です!」と自信満々に名乗ることは抵抗があります。あえて自作全てにあてはまる名称を探してくるとしたら、最近、他の作家さんの宣伝文で見かけた「特殊状況ミステリー」が適当でしょうか。どの作品も、非現実現実を問わず、風変わりなシチュエーションの下で事件が発生するからです。そのシチュエーションに放り込まれた登場人物が、どのようにして事態を切り抜けるのか、犯人ならどんな形で犯罪を遂行するのか、探偵役はどうやって真相を看破するのか……私の小説は、そうした基礎部分の上に組み立てられています。
 よくよく考えると、推理小説に限らず、基本的にエンタメ小説は多種多様な状況の中に登場人物を配置し、発生したイベントにどんなリアクションを起こし、乗り越えていくかを描くものだと言えます。そういう意味では、エンタメの中でも緻密な構成が要求される推理小説を選び、その中でも特別な作品を作り上げようとした私が、色々と思い悩んだあげく、創作の出発点に戻ってきているのかもしれません。
 駆け足ではありますが、ご挨拶もまじえて、自分が何を考えて作品を作っているかを語らせていただきました。
 これから五年、十年と書き続けることができたとき、この文章を読み返して、青臭いことを書いているなあ、と笑うことができたらと願います。今後ともよろしくお願いいたします。