猫とわたし
かたやま和華
初めまして、新会員のかたやま和華と申します。この度の入会に際しましては、新井素子先生とひかわ玲子先生のご尽力を賜りました。両先生方には、感謝の気持ちでいっぱいです。
また、ひかわ先生には、猫友のご縁でもお世話になっております。
猫の一挙手一投足に隠されたドラマを推理することが好きです。と書くと、何を大袈裟なことを言っているのかと笑われるかもしれませんが、猫・イズ・ザ・ミステリー。
物陰からじっとこちらを見つめる斜に構えた猫の姿は、まるで人間観察に長けた人間嫌いの探偵のようであり、あるいは、喉を鳴らして甘えていたかと思えば、不意に爪を立てる気まぐれな猫の態度は、さながら宝石にしか心を許さない女怪盗のよう。
何より、あの満ち欠けする瞳のなんとミステリアスなこと。ぐるん、と瞳が大きくなるときは、猫がいたずらを仕掛けようとしているときです。
我が家の一匹娘の神楽サマは、先祖にヤギがいるのかと小首を傾げたくなるほど、紙という紙を食い散らします。著者校作業中のゲラは、彼女にとって五つ星のごちそう。パソコンとゲラの間に寝転んでは、わたしがウトウトするのを待ち構え、まぶたが閉じたと見るや否や、悪鬼となってゲラにかじり付き、猫キックを繰り出します。
……ヨダレはやめて、お願いだから。
シワシワ、ヨレヨレにされたゲラを悲しい気持ちで伸ばしながら、あるとき、わたしは気付きました。ゲラを襲撃する直前、神楽サマの瞳が急激に大きくなるのは、なぜか。
そうなのです、瞳の満ち欠けは明度の調節のほかに、臨戦態勢のスイッチでもあったのです!
この推理に辿り着いたときのわたしの喜びようと言ったら、きっとさぞや恥ずかしいドヤ顔をしていたことでしょう。これでもう、大切なゲラを神楽サマにガジガジされずに済むのですから。
あれから月日は流れ──。
いまだに、わたしと神楽サマのゲラをめぐる激しい攻防は続いています。もはや、川中島状態。瞳で、ある程度の襲撃予測はできても、神楽サマの手癖、足癖の悪さにはかなわないのです。
どうやら、猫のしなやかな俊敏さに打ち勝つには、もっと別の角度からの新たな推理が必要のようです。引き続き、気を抜かずに猫・イズ・ザ・ミステリーに挑戦していこうと思っています。
いずれまた、わたしの迷推理をご報告できる日が来ますように。