日々是映画日和(59)
三橋曉
〈鳥〉や〈マーニー〉の撮影中に、監督のヒッチコックから性的な嫌がらせを受けていたという主演女優ティッピ・ヘドレンの告白を映画化した〈ザ・ガール ヒッチコックに囚われた女〉が、この春、WOWOWとスター・チャンネルで放映された。その中でも赤裸々に描かれていたように、サスペンス映画の巨匠が、セクハラ、パワハラの困った人でもあったことは、いまや衆知の事実だが、その遠因は母親との密な繋がりにあったという。その関係は、やがて妻のアルマとの間に引き継がれたが、彼が女優たちに向けた歪んだ執着は、そんな呪縛から逃れるためだったと読み解く評論家もいるようだ。
サーシャ・カヴァシ監督の〈ヒッチコック〉でも、アンソニー・ホプキンス演じるヒッチコックその人が、妊娠を理由に前作〈めまい〉のヒロインを降りたヴェラ・マイルズ(ジェシカ・ビール)に冷たくあたるエピソードが登場する。ロバート・ブロックの原作を見いだしたヒッチコックは、新作〈サイコ〉の製作を始めるが、妻のアルマ(ヘレン・ミレン)は、夫の浮気癖へのあてつけのように、1年下の脚本家との恋愛ごっこにうつつを抜かしている。間もなくジャネット・リー(スカーレット・ヨハンソン)を主役に迎え撮影は始まるが、資金難などからたちまち〈サイコ〉は暗礁に乗り上げていく。
原作は、スティーヴン・レベロのノンフィクション『アルフレッド・ヒッチコック&ザ・メイキング・オブ・サイコ』(白夜書房刊)。〈サイコ〉の成功の裏には、妻の内助の功があったというお話しで、一旦は死にかけた映画が、アルマの指揮するポスト・プロダクション(撮影終了後の編集や音楽などの一連の作業)によって、息を吹きかえす。彼女の見せる映画製作のマジックが本作のハイライトになっていて、映画はめでたくヒット、夫妻も絆を取り戻す。しかし、この展開は物事の都合のいい面ばかりに光をあてたようにも映り、巨匠の暗い一面を知ったうえでは正直物足りない。ハリウッド的楽天主義も悪くないが、せめて夫婦の関係にもシニカルな視線を向け、自身の映画さながらのハラハラドキドキがあってもよかったとは思う。(★★1/2)
〈L.A.ギャングストーリー〉も、同題のノンフィクション(ハヤカワ文庫刊)が原作で、ボクサーから暗黒街のボスに成り上がったミッキー・コーエンが支配する一九四○年代末のロサンジェルスが舞台だ。ギャングの鼻薬で腐敗が蔓延する市警察だったが、本部長(ニック・ノルティ)は、秘かにコーエンとその組織の撲滅を画策、その任にあたる者として巡査部長のオマラ(ジョシュ・ブローリン)に白羽の矢を立てる。
同じ時代、同じ舞台をエルロイが「ブラック・ダリア」として描いたのに較べると、ずいぶんとストレートな勧善懲悪の物語になっている。ショーン・ペンの悪の化身ぶりが圧巻だが、それに対するオマラ率いる五人の警官たちも、ナイフ使いや早撃ち名人から電子工学の専門家まで、個性派をずらりと揃え、抜群のチームワークで立ち向かう。派手な銃撃戦に加え、コーエンとオマラが拳を合わせる場面まである双方の闘いは、ややベタだが観客を飽かさない。キャリアの浅い監督ルーベン・フライシャーをサポートする形で原作者のポール・リーバーマンが製作総指揮として名を連ねている。(★★★)
広末涼子と稲垣吾郎が、小学校の入学式当日に幼い娘を交通事故で失い、悲しみにくれる若き父と母を演じる〈桜、ふたたびの加奈子〉は、新津きよみの『ふたたびの加奈子』が原作で、夫婦がいったんは失った絆を取り戻していくまでを描く物語の中に、さりげなく企みを隠している。静謐さをたたえた粟村実監督の演出は、母親たる広末の喪失感を際立たせる効果をあげているが、やがて観客は、丁寧な伏線を張り巡らせた巧妙な映画の作りに気づかされる。ややあざとさもあるが、驚きのあとに訪れる感情の高まりを不覚にも抑えることが出来なかった。(★★★1/2)
すでに西谷弘監督で二○○八年に映画化されている東野圭吾の『容疑者Xの献身』だが、同じ原作をもとに韓国の女性監督パン・ウンジンがメガホンを取ったのが〈容疑者X 天才数学者のアリバイ〉である。日本版もかなり出来が良かったが、堤真一の役どころをリュ・スンボムが演じる韓国版の仕上がりもそれと鎬を削る。
とはいえ作品のトーンはかなり異なる。名探偵ガリレオこと湯川学のシリーズが原作であることから、日本版では探偵役の福山雅治の出番にもそれなりのウェイトが置かれていたが、韓国版では殺人を犯してしまった母子の隣家に住まう数学者に焦点を合わせている。ミステリとしての面白さはそのままに、事件をめぐる悲劇の色合いは、より深く印象的なものとして余韻を残す仕上りだ。(★★★1/2)
見終えるまで気づかなかったが、マイケル・ホフマン監督の〈モネ・ゲーム〉は、マイケル・ケインとシャーリー・マクレーンが主演した〈泥棒貴族〉(一九六六)という作品のリメイクのようだ。自分を虫けらのように扱う雇用主の美術品収集家(アラン・リックマン)を心底恨む鑑定家のハリー(コリン・ファース)は、あるとき、彼にひと泡吹かせる企みを思いつく。その計画とは、テキサスのカウガール(キャメロン・ディアス)の居間に飾られる偽のモネを掴ませ、大金を騙し取ろうというものだった。しかし、参謀役のネルソン少佐(トム・コートネイ)と組んだ作戦はことごとく裏目に出てしまう。
付け足しのように描かれるコンゲーム的な展開だが、実は巧妙に仕掛けられていて、胡散臭さたっぷりに登場する日本企業の経営者グループの役どころともあいまって、実に愉快。すでに〈トゥルー・グリット〉(〈勇気ある追跡〉のリメイク)でも証明済みだが、脚本を担当したコーエン兄弟の古酒のために新しい皮袋をあつらえる手腕は、さすがというべきだろう。(★★★)
※★は四つが満点(BOMBが最低点)です。