元理事長・名誉会員・佐野洋氏死去
名誉会員の佐野洋(本名・丸山一郎)氏が四月二十七日午後九時二十五分、肺炎のため亡くなられた。八十四歳。佐野氏は一九二八年(昭和三年)東京生まれ。東京大学文学部心理学科卒。在学中に大岡信、日野啓三らと同人雑誌「現代文学」を創刊した。卒業後の五十三年に読売新聞に入社し、社会部などの記者として活躍した。
五八年に「宝石」と「週刊朝日」が共催した短編コンクールで「銅婚式」が二等に入選し、作家デビューを果たした。翌年に読売新聞を退社し専業作家となり、長編第一作「一本の鉛」を発表。「金属音病事件」や「透明受胎」などSFとミステリーを融合させる手法を試みるなど、趣向に富んだ作品を多く発表した。六五年には新聞記者が謎を追っていく「華麗なる醜聞」で第十八回日本推理作家協会賞を受賞した。「完全試合」、「直線大外強襲」など野球や競馬を題材にしたスポーツミステリーも数多く手がけた。また短編の名手として知られ、生涯で千編を越す短編を発表している。
その一方で「小説推理」誌上で七三年から二○一二年までの長期間に渡って「推理日記」を連載。同時代の作品を俎上に上げ、実作者の立場からさまざまな提言や批評を行った。連載初期の頃に取り上げられた「視点」に関する問題など、後の作家に与えた影響は大きい。また都筑道夫との間で交わされた「名探偵問答」は特に話題を呼んだ。
九七年にミステリー界への長年に渡る功績を称えられ、第一回日本ミステリー文学大賞を受賞。また作家生活五十年と、「推理日記」長期連載を評価され、○九年に第五十七回菊池寛賞を受賞している。
小説以外の著作には、「推理日記」(全十二冊)のほか、自らの作家生活を振り返った「ミステリーとの半生記」などがある。
七三年から七九年まで、三期にわたって日本推理作家協会の理事長を務めた。
後日行われる予定の「お別れの会」に供花を呈し協会よりの弔意を呈する。