入会のご挨拶
青柳碧人
こほっ。
咳をひとつすると、口から何かが出てきました。床に落ちたそれを拾い上げると、五センチほどの長さのネジでした。あれ、こんなの口に入れたかな? しかし、そんなわけがないことをすぐに思い出しました。昼食にズワイガニのリゾットを食べたからです。浅い皿に盛りつけられたあのリゾットの中にこんな仰々しい鉄の塊が入っていたのだとしたら、気づかないはずがありません。僕はもう一度それを見ました。鈍い金属光沢。頭部のマイナスドライバー用の溝。ピッチの細かいねじこみ部分。素人目に見ても、職人芸であることは明らかでした。
さらに観察すると、ネジ足部分に小さくアルファベットが刻まれているのが分かりました。ルーペを持ち出して見てみると「OKONOGI・535」と書いてあるのでした。パソコンを立ち上げ、検索エンジンに「おこのぎ、ネジ」と打ち込むと、荒川区に「小此木ねじ商会」なる町工場があることが判明しました。これは行ってみるしかない、ということで私は電車とバスを乗り継ぎ、その町工場にたどり着いたのです。
下町の、小さな工場でした。立て付けの悪い引き戸をガタゴトンと開けると、作業台が置かれており、そこに一人の作業員がいました。
「あの……」
と言いかけて僕は息をのみました。というのも、その三十がらみの男性作業員が、頭に変なものを乗せていたからです。中に白いものが入った、黄色のガラス製の円筒でした。それがヘルメットに取りつけられ、バンドが男性の顎までのび、バックルがしっかりと止められているのです。
「あんた、なんだい?」
「あの……これ」
僕は例のネジをジャケットのポケットから取り出し、彼に見せました。
「こちらの製品でしょうか?」
彼は訝しげに僕から受け取ったネジを眺めていましたが、「535」の文字を認めるなり、興奮し始めました。実際、彼の表情はそんなに変わっていなかったのに、なぜ彼が興奮し始めたのが分かったのかといいますと、頭上の円筒の中の白いものがぽんぽんと弾け始めたからです。ポップコーンでした。円筒が黄色であるために、ポップコーンの色自体ははっきりとは識別できず、それゆえ、ノーマルな塩味なのかはたまたカレー味なのかは残念ながら判断できません。ですが、これだけは言えます。キャラメル味ではありません。
「あんた、これを一体、どこで?」
「今日の昼過ぎ、咳をした僕の口から飛び出してきたのです」
「なんと……!」
ぽんぽん。ぽんぽん。ぽんぽぽぽぽんぽんぽん。男性の頭上円筒内のポップコーンはここぞとばかりに弾けています。金属製のふたを吹き飛ばして外に出てきそうな勢いです。
「おっ、親父!」
男性は奥のドアを振り向き、叫びました。ぽん、ぽんぽん。
「親父って!」
僕は男性のあまりの大声と、ポップコーンの弾け具合を前に立ち尽くしていたのですが、そうこうしているうちに奥のドアが開いて、一人の男性が現れました。……いや、正確に言えば、男性ではなく、浴槽が現れました。車輪付きの浴槽。黒いヘッドのシャワーまでついています。その湯船の中に、七十くらいの裸の老人が浸かっているのです。
「親父、一体何してるんだ?」
「見りゃ分かるだろう、半身浴だ」
ええそうです、間違いありません。「小此木ねじ商会」の社長と思しきこのご老人は、目下、半身浴の真っ最中です。
「親父、この人がこれを」
ぽん、ぽぽぽん。ポップコーン頭は社長にネジを渡し、事情を話します。僕の目は、浴槽脇に取り付けられている黒いシャワーヘッドに釘付けです。あれ、あのシャワーからは何か緑色のゼリーのようなものが垂れているぞ、と思ったそのとき、
「ちっ!」
大きな舌打ちが聞こえました。半身浴のご老人がマムシのような目で僕を睨み付けているのでした。
「だからよ、しっかり締め付けとけって言ったんだよ、俺はよっ!」
───
これが、僕が二十代の頃に書きかけ、今日まで放ってある短編のあらすじです。
初めまして。このたび日本推理作家協会に入会させていただきました、青柳碧人と申します。こんな短編をいくつも書きかけてはハードディスクの中に眠らせてばかりいた僕も、二○○九年に数学テロ事件を扱った『浜村渚の計算ノート』でデビューし、二○一二年にはTV法廷ミステリー『判決はCMのあとで ~ストロベリーマーキュリー殺人事件』や建築系キャンパスミステリー『ヘンたて 幹館大学ヘンな建物研究会』を刊行するに至りました。どうぞよろしくお願いします。
なお、「小此木ねじ商会」の話のオチ、絶賛募集中です。