新入会員紹介

新入会員ご挨拶

白川尚史

 はじめまして。この度、推理作家協会の末席に加えて頂きました白川尚史と申します。デビュー作『ファラオの密室』は第22回「このミステリーがすごい!」大賞の大賞受賞作品で、2024年1月に発売しております。どうぞよろしくお願い致します。
 さて、今に至るまで私は、いわゆる普通の就職をしたことがありません。大学では松尾豊先生の研究室でAIを学び、卒業後にその技術を活かして起業をし、以降は経営者として活動しています。
 そんな私が作家になれた理由は、幼少期からの作家に対する並ならぬ憧れに加え、燃え尽き症候群を経験したことにある、と今では考えています。
 私が起業した会社は PKSHA Technology という会社で、AI技術を専門にしております。深層学習技術の社会的注目にも後押しされ、創業から五年でマザーズ上場を果たしました。
 一般に、起業家の多くは一発当てるために上場を目指すと思われがちですが、実はそんなことはないのです。上場とは株式を公開し、一般の投資家の方々から投資を受けられるようにすることを指します。市場では投資家保護のため、情報開示や監査など、多くのルールが課されていますから、その分経営に割けるリソースは相対的に減ってしまいます。
 加えて、創業者といえば持ち株でウハウハというイメージが多いですが、私の観測した範囲では、実際に売れる株は限定されているように思います。創業者が株を売るという行為が、市場からネガティブな印象を受けやすいため、株を手放すことが会社のイメージダウンにつながってしまう恐れがあるためだと思われます。このあたり、アメリカは進んでいて、容赦なく売っているような印象があり、お国柄なのかなあ、と思います(個人の意見です)。
 一方でもし上場をしない場合は、株主も自分たちのことが多いですから、自由に経営をできます。株を売ることによるキャピタルゲインはありませんが、その分好きに給料を出せばいいのです。資金調達はできないものの、会社の意思決定を株主たる自分たちで自由に行えるわけで、どちらを選ぶかは人(会社)によります。
 それでも私がなぜ上場を目指したかというと、会社が小さい頃から一緒に働いてくれていたメンバーたちに金銭的に報いる方法として一番素直だったから、というのが答えです。
 しかし、上場はゴールではなく、むしろスタートなのです。それはわかっていたつもりなのですが、上場を通じて、皆に報いることができたという感覚のあと、肩の荷が下りた私は自分が何をしたいのかわからなくなってしまいました。
 会社は時価総額でおよそ二千億円の評価額がつきました。つまり、私はAIを専門にする二千億円の会社の取締役で、技術のトップです。toBの企業ですから、一般消費者からの知名度こそありませんが、スタートアップの界隈では誰もが知る会社です。それでいながら、私はどこか満たされない気持ちを抱えていました。
 私はこのままでいいのだろうか。明日、交通事故に遭ったら後悔するのではないか。
 死ぬまでに絶対にしたいことはなんだろう。人生の目標とはなんだろう。
 そう問いながら生きていました。少なくとも、このまま会社を大きくし続けることは、能力的に可能であっても、私の人生の目標ではなさそうでした。
 燃え尽き症候群(バーンアウト)は、経営者の職業病ともいわれます。当時はそこまで意識していませんでしたが、今振り返ると、あれがまさしくそうでした。
 そうして2020年の末、任期満了のタイミングで取締役の続投を辞退したあと、自分が本当はなにがしたいかをゆっくり考えました。
 そして出てきた答えは、小説を書きたい、という思いだったのです。
 私は早速筆を執り、一ヶ月で長編を書き、翌月末の乱歩賞に応募しました。作品の出来はひどいものでしたが(下読みの方、本当にごめんなさい)、自分自身、とても充実していました。
 そして、もっと面白い物語を書くにはどうしたらよいのだろうと真剣に考えるようになり、腕を磨いて新人賞に応募するという活動を始めました。
 面白いことに、小説を書くようになってから、再び経営に対してもポジティブに向き合えるようになりました。そうしてお声がけいただいた会社で、今はまた取締役を務めています。
 今の私の生きる理由は、同時代を生きる人を幸せにし、未来になにかを遺すことだと確信しています。それを見つけられたのは、創作活動のおかげです。
 そのために、十年二十年かけてでも新人賞を受賞したいと思っていたところ、存外早く受賞できてしまいました。本当に嬉しい誤算です。
 上場のときは燃え尽きてしまいましたが、新人賞を受賞した今は、エネルギーに満ちあふれているように思います。ここがゴールだという意識は欠片もありません。それは、自分が本当にやりたいことを見つけられたからなのだと思います。
 これからもよりよい物語が書けるよう、諸先生方の作品をよく読み、よく書いて、精進していきたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。