松坂健のミステリアス・イベント体験記

健さんのミステリアスイベント探訪記 第51回
戦後70年、ミステリも回顧展ブーム
『日影丈吉と雑誌宝石の作家たち』
町田市民文学館ことばらんど
2015年10月17日~12月20日
『没後50年―不滅の乱歩展』
ミステリー文学資料館
2015年9月1日~10月3日
『探偵小説の系譜』
成蹊大学図書館
2015年10月19日~11月14日

ミステリ研究家 松坂健

 2015年は戦後70年という節目の年ということもあって、過ぎ去った「昭和」を回顧する企画が多かった。
 ミステリの世界でも、戦後史を意識した展示会、イベントなどが散見された。
 そのなかでも、こんな地味な作家でも特集されるんだと、ファンとして嬉しかったのが、町田市市民文学館ことばらんどで行なわれた『没後25年日影丈吉と雑誌宝石の作家たち」展だった。
 日影丈吉は戦前から片岡十一の本名で童話や幻想的な短編を同人誌に発表していたが、本格的なデビューは、昭和24年に執筆されたと推定され、宝石誌の百萬円懸賞小説大募集の企画に応募した『かむなぎうた』だ。少年を主人公に、現代語を擬古文風に書くという趣向が注目され、宝石賞短編部門の第二席に輝いた。以後、幻想的な味わいをもつ短編群で探偵文壇のなかで異色の位置を占めることになる。
 この第一回宝石賞の候補作を全部掲載したのが、別冊宝石昭和24年12月号の「百萬円懸賞・新鋭36人集」で、厚さ5センチ、当時枕になるといわれたものだった。
 今回の展示会は、こういう宝石誌の実物がかなり展示されていて、それを見ているだけでも楽しい。この「36人集」など見ると、当時の出版文化の勢いをなまなましく感じることができる。
 41歳の遅いデビューだったが、乱歩の宝石賞選評の一文を読むと(図録に掲載)、「ほとんど完璧な作品」と賞揚されている。以降、この雑誌を主な舞台に独自の作風で地歩を築いていく。昭和31年、日本探偵作家クラブ賞を受賞した『狐の鶏』も宝石に掲載。作家の成長を雑誌が促す、理想的な形があったことを教えてくれる。
 この展覧会のタイトルには『雑誌宝石の作家たち』の言葉も付いていて、日影の他にも虫太郎、城昌幸、風太郎、正史、乱歩などの展示もある。やはり雑誌の消長で文化の流れが読み取れるように思う。
 展示はもちろん、1970年代以降、読書グルメと呼ぶべき人たち(例えば澁澤龍彦氏のような)から与えられた再評価の成果と呼ぶべき書物群も含まれているが、異色は何といっても、彼のフランス料理の調理師さんたちへの影響を示すコーナーだ。
 日影は戦前、アテネフランセでフランス語を学び、その語学力を生かし、調理人相手にフランス語の料理書の原書を読めるようにするための語学講座を開いていた。その時の手作りの教科書(奥様の制作とか)なども実物が残っている。
 新橋のビルの一角で戦争が始まる直前まで開講されていた「料理文化アカデミー佛語部」には後に帝国ホテルの総料理長になった村上信夫ムッシュも在籍していたという。まだ十代だった彼はホテルの仕事がはねたあと、ここに通い終電車まで勉強を重ねていたという。教え子には、オークラの総料理長だった小野正吉氏もいるし、日影さんのこの努力がなかったら、日本のフランス料理業界の発展はもう少し遅れたかもしれない。日影に料理とミステリにまたがるエッセイ集があるのは、当然のことだった。
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 戦後といえば「焼け跡・闇市」。昭和50年代の初めまでは、結構、この言い方が普通に使われていた。当時デビューした野坂昭如とか五木寛之などの新鋭作家が少年から青年になりかかった頃に、体験したある種の無法と暴力、奸智がものを言った時代のエネルギーを基盤に作品をものしていった。文壇の焼け跡闇市派である。
 いつしか、昭和元禄からバブル景気へと浮かれる日本になって、この言葉も消え、東京の街角から戦後すぐの風景もどんどんなくなっていった。
 そんな焼け跡・闇市の時代を町ぐるみで追体験しようという試みが『戦後池袋―ヤミ市から自由文化都市へ』というイベント。
 主に池袋東口(闇市がたっていた)を舞台に、東京芸術劇場とその前の広場を使っての同時多発型の催し事になった。
 その重要なパートを受け持っているのが、旧江戸川乱歩邸。
 乱歩さんは空襲のさなかにも池袋を離れず、町会長として消防団の団長もつとめていたほどだ。その経緯は、彼のスクラップブック「貼雑年譜」に添付された多くの資料で裏付けられている。乱歩研究ではそういう彼の実務家的側面は論じられていないが、彼の幻想的と言える短編にも妙にリアルで生々しい具体性があることを考えると、焼け跡・闇市を生き抜いた乱歩さんの姿も興味深い。
 東京劇術劇場の2階ギャラリーでは、今まで公開されていない「年譜」の三巻以降が展示され、乱歩が見た戦争直後の池袋が展開する。
 この他、立教大学敷地に移設された旧乱歩邸の土蔵の特別公開、そしてミステリー文学資料館でも『没後50年―不滅の江戸川乱歩展」が開催された。
 こちらは小規模なものだが、乱歩さんが戦後見つけ出した新しい才能たちとの交友関係を中心にした展示になっている。乱歩=彬光の書簡、戦後派五人男(滋・風太郎・彬光・一男・砂男)を励ますパーティの資料などが興味深かかった。
 なお、成蹊大学の図書館でも『探偵小説の系譜』と題したミニサイズの展覧会があった。成蹊大学は、元・東京創元社の戸川安宣氏が贈与したミステリなどを収容し、日本でも有数のミステリコレクションをもつところになりつつあり、今回のイベントもその流れの中で実施されたものだろう。
 目玉は同図書館が所有する乱歩さんの単行本未収録の『「月長石」序文』の草稿と夢野久作が家族に残した書簡の実物。乱歩など昭和大衆文学研究の泰斗、浜田雄介教授がついているのが強さだ。
 微笑ましいのは、有馬頼義コーナーがあったこと。もはや口の端にのぼることのなくなった作家だが、探偵作家クラブ賞受賞の野球ミステリ『四万人の目撃者』などを残している本来は純文学系の作家だ。無類の野球好きで、父親の有馬頼寧氏は旧久留米藩の殿様で、ノンプロ球団セネタース(貴族院議員だった)と競馬馬のオーナー(有馬記念レースに名を残す)だったこともあり、一時は成蹊中学に学び、のちに成蹊大学野球部の監督も務めたのが頼義さん。こういう地味な作家が顕彰されるのも、こういう展覧会の良さ。また、図書館のミステリ蔵書公開イベントをやってもらいたいものである。