合成人間ビルケと私
はじめまして、上条麗南と申します。
このたび、真保裕一先生、鈴木輝一郎先生のご推薦を賜りまして、推理作家協会に入会いたしました。この場を借りて、厚くお礼申し上げます。
栄えある推理作家協会の会員となっておきながらこんなことを言うのは変だと重々承知しておりますが、実をいうと小説家になれるとは、というか、自分が小説を書くとは、数年前までは想像もしたこともなかったのです。
つきそいでオーディションに来たらデビューできちゃって……という一昔前の歌手みたいなことを言うのかお前は、と言われそうですが、本当にそうなんです。
デビューのきっかけはフランス書院さんのフランス書院文庫官能小説大賞に応募したからなのですが、目あては賞金なのでございました……。すみません。
当時、ホラーのDVDの再販が相次いでおりまして、お小遣いが足りなくなってしまったのでございます。この間は「ヘルハウス」(TV版の吹替つき)を買いました。
働きにいけない事情がありましたので賞金をゲットすべく頑張りました。小説を書くのは初めてでしたが、小学生のころから読みなれていた官能小説(小学生低学年のころからスポーツ新聞のピンク記事欄の愛読者で『怒張』は小学二年で読めました)は書ける、と思って頑張りました。
結局、受賞は逃しましたが、幸運にも編集者さんの目に留まりまして、数度の書き直しのあとデビューすることが出来たのです。デビューが決まってからは「いいのか、オラの本が書店に並んでいいのか」と、かなり動揺してしまい、類人猿みたいな歩き方でウホウホ言いながら家じゅうをウロウロしたのをよく覚えています。
私がなぜ小学生のころからピンク記事欄を読みふけっていたかというと、元来スケベなのもありますが、なんといっても世界の終末に心底怯えていたからです。
何故そこまで怯えていたかはわかりません。
ただ小学校一年生のあたりから「ノストラダムスの大予言」をビクビクしながら読み、バチカンが封印したというファティマ第三の予言に何が書かれているのか気をにしている子でした。そんな頃にイランイラク戦争が勃発。テレビから流れる戦争のニュースは私を心底震え上がらせました。
あれを見て、「世界は私が生きている間にきっと破滅を迎える」との確信を深めました。
そういうわけで、小学生から勉強そっちのけで社会崩壊後のサバイバル方法を模索する日々でした。
日々死の恐怖におびえる小学生にはアニメも映画も慰めにはなりませんでした。そんな小学生の唯一の息抜きはスポーツ新聞のピンク記事欄。
そこはピンク色の世界。核戦争の恐怖も、死者の蘇りも、アンゴルモアの大王の大暴れも、地上戦での悲惨な光景もありません。
庭に穴を掘って核シェルターを作ることを真面目に考えてみたり、戦争が勃発したとして食糧難をどう乗り切るか、はたまたゾンビハザードが起こった場合、銃が規制されているため飛び道具がない日本でどうやってサバイバルするかを常々考えていた小学生にとって、性まっしぐらのピンク記事欄は猥雑なパワーがあり生の魅力にあふれていました。
私とってそこは死を忘れさせてくれる世界でした。
そんな、ピンク記事欄が魂の慰めだった小学生だった私に転機が訪れました。
忘れもしない、小学校四年の昼休みのときのことです。その時も、子供向け七不思議の本で、世界の終末に関する箇所を読みふけっておりました。
本を元の場所に戻し、世界の七不思議コーナーのとなりに目を向けた時に「合成人間ビルケ」というタイトルが目に飛び込んできました。
不思議なタイトルでした。本を手に取って表紙を見ました。
表紙には、首だけになったおじさんが描かれていました。
「首だけ人間! きゃあ素敵!」
読み始めました。最高に面白かったです。
ピンク記事欄以外に、死の恐怖を忘れさせてくれるものと私はその時出会ったのです。
それは物語でした。その年で目覚めたのかよ、おせーよ、と思われるかもしれませんが、脳味噌のほとんどをサバイバルシミュレーションとピンク記事欄読書に使っていた小学生でしたので、大変な視野狭窄に陥っていたのです。
首だけとなったドウエル教授の物語は私を魅惑しました。不思議な物語に魅せられた私は、そこのコーナーにあった本を端から読み始めました。
そこは、偶然にも海外のSFとミステリーの棚でした。
「宇宙戦争」は恐ろしさに震えながらも、宇宙人襲来時のサバイバル教本にしようと思いながら読みました。「男の首」は血塗れの生首が出てくる怪談だと思いつつ読んだら違ったのでびっくりしましたが、渋すぎる物語に痺れました。それからはブラッドベリの「刺青の男」を読み、ルパンの華麗なる冒険と謎解きに心躍らせ、「モルグ街の殺人事件」の陰惨さに陶然としておりました。SFミステリー棚の隣には、国内ミステリー棚がありました。
そして、江戸川乱歩の少年探偵団を読み漁る時代が始まりました。
遅まきながら、国内ミステリーに開眼したのです。
グラナダ版ホームズがNHKで始まったのもこのころでした。当時、石坂浩二版金田一映画もしょっちゅうテレビ放映されていたので、私は夢中で観ました。
そんなわけで、ローラースケートを履いた少年たちがアイドルだった時代に、私のアイドルは石坂浩二であり、ジェレミー・ブレッドになりました。
当然のごとく他の生徒たちと話は合いません。周囲からかなり浮いていたようですが、私は幸せでした。終末の恐怖を忘れさせるほどの愉しみ――物語の愉しみを知っていたからです。
そんなこんなで、周囲と微妙にズレたまま本を読みつづけ、ホラー映画を観るために劇場に通い、学生となり、社会人となり、気づいたら官能小説を書いていました。
ただの一読者だった私がプロの書き手となるなんて、数年前まで本当に想像もしていませんでした。いまは、別ペンネーム(吉澤有貴)で怪談も書いています。
これも全く想像していないことでした。
だから、自分でもこれから先どうなるかわかりません。
ただ、物語を書いていくことが好き――というより、憑かれているのはたしかです。一度知ってしまったらもう離れられない、そんな快楽と恐怖が書くことにはあります。
その快楽と恐怖の道はいばらの道かもしれませんが、足を血まみれにしてでも突き進めば、きっと宝となるような作品を作ることのできる日が来ると信じております。
そのために、これからも日々精進したいと思います。
会員の皆様、これからもどうぞよろしくお願いいたします。