入会のご挨拶
千街晶之さま、ハセベバクシンオーさまのご推薦をいただき入会させていただきました、あいま祐樹と申します。この場をお借りしてお二人に感謝を申し上げるとともに、栄えある会の末席に加えていただきましたことを嬉しく存じます。
『ミステリーの書き方』(日本推理作家協会)を読んで物語を書き始めた身といたしましては、本会への入会にはひときわ感慨深いものがございます。
思い起こせば、初めて小説らしきものを書いたのは中学入試のときでした。母校である広島大学附属福山中学校の国語の入試問題は独特で、物語の冒頭と結末が提示され、指定文字数の範囲で自由にお話を創作するというものでした。
びっしりとマス目が並ぶ解答用紙を前に、多くの受験生は頭が真っ白になったそうです。必死で勉強してきた読解や空欄補充、四字熟語などが一つも出題されなかったのですから無理もありません。
受験勉強そっちのけで江戸川乱歩や横溝正史を読み漁っていた自分はなんとか小説らしきものをかきあげて、合格をいただくことができました。
卒業生に文筆業や出版業界に携わる人が少なくないのは、このような出題だったことが影響しているのかもしれません。
実際に自分も出版社に就職することになり、実用書の編集部に配属されました。当時の上司が新人である自分にかけてくださった言葉で忘れられないものがあります。
「編集という仕事はね、中毒性があるんだよ。一生抜け出せない、楽しい病だ」
確かに本づくりに関わる業務は楽しいのです。苦しいことや辛いことがたくさんあり渦中にいるときは胃が痛くなることもあるのに、校了するといつの間にか次の企画を考えています。
編集者は辞められない。そう思っていました。
そんなある日、強制的に転機が訪れます。長男が学校の課題(小説の執筆)でつまずいたのです。
プロットをたてて途中まで書いたものの、そこから先にすすめなくなったとのこと。長男曰く、「書く気はあるが、筆が進まない」状態で一か月が経過していました。普段は子どもの宿題に関与することはありませんが、たまたま課題が執筆であり、自分の職業が編集だったこともあって、言葉を尽くして促してみました。しかし、「小説を書いたことがない人に、この苦労はわからない」と反抗されて物別れに。
そこまで言うなら書いてやろうじゃないか、と売られた喧嘩を勝った結果、『このミステリーがすごい!』大賞よりデビューとなりました(拙作に目をとめてくださった関係者のみなさまには厚く御礼申し上げます)。
青天の霹靂とはこのことです。それなりに人生設計を描いていたつもりでしたが、親子喧嘩をきっかけに作家に転身するとは思ってもみませんでした。人生というのはいつなにが起こるかわかりませんね(ちなみに長男は締切間際に猛スパートをかけ、無事に原稿をあげることができました)。
こうして編集者から作家に転身したわけですが、言うまでもなく両者の仕事内容は違います。けれども、「読者にワクワクしてほしい」という思いは、立場が変わっても同じなのです。
これからは作家として読者に楽しんでもらえる作品をうみだすべく研鑽を積んでまいりたいと存じます。なにとぞよろしくご指導のほどお願い申し上げます。