松坂健のミステリアス・イベント体験記

健さんのミステリアス・イベント探訪記 第62回
探偵小説の大御所5人を顕彰する3つの文学展行脚
大下宇陀児展(2016年10月15日~11月13日)箕輪町郷土博物館(長野)
島田一男・大藪春彦・山村美紗没後20年展 ミステリー文学資料館(豊島区)
内田康夫と渋谷 白根記念渋谷区郷土博物館・文学館(渋谷区)

ミステリ研究家 松坂健

 こういう地味な探偵作家を顕彰する記念展があるのはいいなあ、と思う。
 「生誕120年 探偵作家大下宇陀児」と題した特別展だ。行われたのは長野県上伊那郡の箕輪町郷土博物館。大下氏の生誕地。
 ともかくも南信、JRでいえば飯田線だから、かなり遠く、なかなか行くチャンスが訪れないまま、会期が終わってしまった。
 ということで、展示会の図録を取り寄せるくらいのことしかできなかったが、これがたった300円で素晴らしい出来栄えなのだ。
 趣旨を述べる「はじめに」から戦前のロマンチックリアリズム時代の宇陀児、そして戦後アプレゲールの日本社会を舞台にした作品群まで、多彩な写真入りでコンパクトながら分かりやすく編集されている。カラーなのだが、写真の鮮明なこと、ちょっと驚かされた。
 「このように当時日本でも有数の探偵作家であったにも関わらず、現在、大下宇陀児を知る人は郷里である箕輪町でも多くありません。この特別展では、大下宇陀児の生誕120年にあわせて、箕輪町出身の偉大な探偵作家、大下宇陀児について紹介しています」と図録の「はじめに」にある。ここで語られている当時とは、昭和26年に『石の下の記録』で第4回探偵作家クラブ賞を受賞した頃を指す。大下氏は昭和22年からラジオ番組「二十の扉」の回答者としても親しまれていて、私事にわたって恐縮だが、本は好きだが、それほど探偵小説好きでもなかった母でさえ、普通に名前を知っていて、もちろん、この難しい名前もなんなく「うだる」と読めていたくらい知名度があった人なのである。貸本屋さんから大下のを借りてこいと命じられたことも記憶している(僕が小学校高学年から中学はまだ貸本屋全盛の時代だった)。難読漢字の著者名で、それで記憶しているのである。
 トリックに偏らず、人間描写に力点をおいた人間派探偵作家としても功績は、もう一度、再評価されていい。偶然か、同人研究誌の「新青年趣味」の第16号(2016年11月発刊)が大下宇陀児大特集を組んでいる。こちらも詳細な著書目録つきの労作。
 なお、大下氏は書の名人ともいわれ、老舗の看板などの揮毫を頼まれることも多かったようだ。ミステリファンの集まりである「SRの会」のひとりが、東京・浅草橋にある和菓子屋さんの看板が宇陀児の手になるものと発見、ミニミニ聖地化しているとのこと(あくまで噂)。
 いずれにせよ、地方の時代と騒ぐのはいいけれど、B級グルメ大会ばかりやらず、こういう地元の英才を再発掘して、蘇させる試みは貴重なものだと思う。
 ということで、つづいては「没後20年」。 池袋のミステリー文学資料館が1996年に亡くなられた三人の作家を顕彰する展示会を開催中(2月18日まで)。
 三人とは大藪春彦氏(1996年2月没)、島田一男氏(同年6月没)、山村美紗氏(同年9月没)を指す。
 1990年代の半ばから、日本ミステリの世界は新本格派が台頭し、新旧の選手交代が進んだような気がする。
 大藪さんは和製ハードボイルドのジャンルを終始リードしてきた人だ。乱歩さんをして驚愕せしめた早稲田大学在学中の『野獣死すべし』での小説デビューから、代表作『汚れた英雄』まで一貫してアンチ・ヒーローを描き続けてきたが、その軌跡が「銃」へのこだわりを含め、要領よくまとめられている。拳銃やライフルの発射音ばかり集めたLP盤があって、大藪氏がライナーノーツを寄せているものが展示されていたが、これは山口雅也さんの言う「怪盤」になるのだろうか? 手元に欲しいなあ。
 島田一男さんは団塊世代をボトムとしたオールド層には馴染み深い。小説そのものより、やはりNHK連続ドラマ『事件記者』だろう。展示には懐かし番組の写真、台本などが展示されていた。
 古い話だから明かしてもいいエピソード(というほどのものじゃないが)で、島田氏が小説の細かいディテールの信憑性にものすごくこだわっていたという話を聞いた。これは中島河太郎さんからの又聞きなのだが、乱歩賞の選定でも、たとえば書き手が池袋から有楽町まで車で二十分かかった、などと描写すると、本当にその時間で行けるかどうか、実際に車に乗って走って、確かめたりしたそうだ。やはり根っこは新聞記者。そして、昔の記者はそこまで事実確認を怠っていなかったんだな、とついつい遺影の前で感慨にふけってしまった。
 最後の山村さんは、キャリアの絶頂期に近いところで急死された。「トリックの女王」の異名を冠され、のちのテレビドラマのコンテンツづくりに大いに貢献した。最近はそのトリック構想力が新本格ファンの間でも再評価が高まっていると聞く。いつのまにか、文庫本も品薄になっていくのが没後20年くらいかもしれないが、山村さんの作品群は案外、その本格の味つけでリバイバル可能かもしれない。
 最後は内田康夫さん関連。渋谷のやや奥、國學院大學があるあたりに白根記念渋谷区郷土博物館・文学館がある。そこで10月29日~1月22日まで開催されていたのが「内田康夫と渋谷―名探偵・浅見光彦は渋谷区幡ヶ谷で誕生した?」特別展。
 内田康夫さんといえば北区が力を入れて、北区としてのミステリ―文学賞も設定しているほどだが、これは探偵・浅見光彦が北区に住んでいるという設定を生かしたもの。
 しかし、実際に内田氏が住んでいたのは幡ヶ谷の駅前マンションで小さな広告代理店を営みながら、友人の勧めもあって執筆したのが『死者の木霊』。栄光出版社というところでの発売だったが、実質的には3000部自費出版だったという。
 ところがこれが思いがけないヒット。僕もこの版で読んだのだが、信州飯田に始まって伊勢鳥羽までストーリーが自然に展開して、名作の名に恥じないと思う。図録の中にある内田さんの言葉では「清張さんの『砂の器』を目指した」とあるが、なるほど一刑事が執念で日本全国を歩き回るパターン、これを日本型ポリスプロシュードラル(捜査過程小説)ジャンルとしてもいいかなと思う。たとえば、宮部みゆきさんの『火車』なども、これに含まれるかもしれない。アメリカだとこれはPI(私立探偵)の役目になるわけだ(ちなみに、その傑作はE・V・カニンガム『いとしのシルビア』)。
 この展示会では、内田さんが渋谷をどう描いたかを中心に展示が練られていて、作品にまつわる風景写真もある。処女作が書かれた1970年代終わりから既に40年。作品を回顧しながら渋谷の土地柄が変貌していく様が分かる展示会でもあった。