日々是映画日和(109)――ミステリ映画時評
今年は『カメラを止めるな!』の三十七分長回しが話題になったが、こちらはさらにその上を行く。ほぼ六十分間のワンカットに加えて、3Dというのだから恐れ入る。今年の東京フィルメックスで上映された中国のビー・ガン監督作品『ロングデイズ・ジャーニー、イントゥ・ナイト』は、残念ながら狭義のミステリ映画とは言い辛いが、ワイルダーの『深夜の告白』を念頭においたというだけあって、ムーディーなフィルム・ノワールの世界をディープに繰り広げる。来年には、各国の映画祭で喝采を浴びたデビュー作『凱里ブルース』も正式に公開されるそうなので、待ち遠しい。
伊坂幸太郎と中村義洋監督のコンビ作としてはおそらく最高の出来映えだった『ゴールデンスランバー』が、韓国でリメイクされた。監督はこれが商業映画デビューとなる若手のノ・ドンソクで、主演は『人狼』でも共演したばかりのカン・ドンウォンとハン・ヒョジュの人気者コンビ。二〇一〇年の日本版では濱田岳だった、主人公の逃亡劇に手を貸すキーパーソンの役どころはがらりと改変され、『新感染 ファイナル・エクスプレス』等のキム・ウィソンが演じている。
見どころの一つは仙台からソウルへと移された舞台で、それは映画の質感にも表れている。地下水路も含めた街が物語の一部という点は同じだが、要人暗殺犯の濡れ衣を晴らそうとする展開を絡め、街中での追いつ追われつを描くアクション色強い演出が、高い熱量を生んでいるのだ。また、飄々たるユーモアと切れのあるサスペンスで緩急際立つ日本版に対し、バンド活動を主人公らの絆とし、音楽映画の色合いを交えることに持ち味を見出している。印象操作や監視社会の現実を描き、国家権力の専横に対する警鐘は、このリメイクでも激しく打ち鳴らされている。※一月一二日公開(★★★)
イ・チャンドン監督の『バーニング 劇場版』は、村上春樹の短編「納屋を焼く」の映画化だが、オリジナル作品に近い。作家志望のユ・アインは、通りがかった物販の会場でコンパニオンのチョン・ジョンソに声を掛けられる。彼女は同じ街で育った幼馴染だった。アフリカ旅行の留守中に猫の餌やりを引き受けた彼は、つかの間の肉体関係を反芻しつつ、帰国を待ち焦がれる。しかし空港に降り立った彼女の横には、旅先で出会ったという青年実業家のチョン・ジョンソがいた。
格差社会の現実を突きつけられ、男女のトライアングルに巻き込まれていく主人公の物語は、まさに青春の蹉跌で、嫉妬と諦めでがんじがらめにされる青年の苦悩がこれでもかと描かれる。中盤に事件が起き物語の転回点となるのは『シークレット・サンシャイン』とも似ているが、本作のミステリ映画としての興味は、犯人が誰かということより、納屋ならぬビニールハウスを焼くという行為が何を意味するのか、という点に絞られていく。この映画はまるで原典の小説に対するイ・チャンドン監督のアンサーソングのようでもある。※二月一日公開、十二月にNHKテレビにて放映予定もあり(★★★1/2)
堤幸彦監督『人魚の眠る家』も原作がある。ただ、作者の東野圭吾を意識すると、犯罪らしきものが仲々起きないことを怪訝に思うかもしれない。
離婚の危機に瀕する西島秀俊と篠原涼子の六歳になる長女が、プールの事故で病院へ搬送された。医師の説明で夫婦は脳死の状態を受け容れるが、脳死判定の直前に娘の指が動くのを感じた母親は〝生きている〟と確信する。娘は人工神経接続の技術と母の献身的介護に見守られ、自宅で眠り続けるが、回復の見込みがないという事実が、やがて母親と周囲のズレを深刻なものにしていく。
脳死と心臓死の間に横たわるグレイゾーンや、命の尊厳と臓器移植の問題をテーマに絡める一方で、最先端の医療技術の情報も盛り込む。原作はミステリの領域をも突破せんとする意欲作だが、映画の意気込みも負けていない。一部で使われた〝ヒューマン・ミステリー〟という惹句はやや安直な響きもあるが、人間という謎をめぐってつるべ打ちされる終盤の展開が見事。原作者の意を汲むような形で追加されたという少女の絵にまつわるエピソードも、この物語をしめくくるにふさわしいものだと感心した。(★★★★)
今回は偶然にも、日本作家の原作ものが四つ並んだ。『渇き。』から四年ぶり、中島哲也監督『来る』は、澤村伊智の日本ホラー大賞受賞作「ぼぎわんが、来る」の映画化だ。前後して公開の『ヘレディタリー/継承』というやはりホラー系の映画が話題だが、怖いもの見たさの好奇心をくすぐるだけでなく、物語の中で起きていることのさらに深層へと分け入る謎解きのスリルに共通項がある。
周囲の羨みとやっかみの中、結婚した妻夫木聡と黒木華の間に、やがて長女が誕生。しかし怪事が相次ぎ、父親は友人の民俗学者に相談する。オカルトライターの岡田准一経由で、友人のキャバ嬢で霊媒の力があるという小松菜奈を頼り、わが子を守ろうとするが。
一家に取り憑く災いの根が登場人物の負の人間性と結びつき、彼らの妄想と現実の境界線が曖昧になっていく原作の迷宮感が映画でも素晴らしい。終盤の除霊の儀式をはじめ原作のさらに上をいくスケールに目を奪われるが、真の主人公が後から登場する手法も鮮やか。ちなみに先に挙げた某作とは同じ主題を有していると思う。(★★★1/2)
※★は最高が四つ、公開日記載なき作品は、すでに公開済みです。