土曜サロン

二〇二〇年~二一年土曜サロン総括

竹上晶

 コロナ禍において、土曜サロンも当然開催ができずに二〇二〇年が去っていった。二〇年三月には、都内図書館勤務の安藤秀臣氏を講師に迎えて、二松学舎大学で開催されていた『作家・大西巨人』展を見学する「大西巨人への旅」が企画されていたが、直前に中止。以来、当面の活動見合わせとなり、二〇年は結局一度も開催できなかった。
 二一年四月に一年ぶりの開催と思われたが、やはり新規感染者数の増加で土曜サロンとしてではなく、有志の集いとして、四月一七日に文学散歩を行った。
 日比谷線三ノ輪駅に集合し、まず向かったのは中井英夫の『虚無への供物』で五色不動のひとつ「目黄不動」として紹介される永久寺。残念ながら門戸は閉ざされており、参拝はできなかったが、駅から徒歩一分と、大変行きやすい立地である。
 すぐそばにある浄閑寺は、新吉原の遊女の「投込寺」として知られている。「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と詠まれた場所で、永井荷風の花畳型筆塚があり、荷風忌もここで行われている。写真家の荒木経惟氏は三ノ輪の出身で、よく浄閑寺でも遊んだという。
 しばらく歩いて、歌人でもある福島泰樹氏が住職を務める台東区下谷の法昌寺へ。昨年の協会報1月号にも寄稿させて頂いたが、二〇二〇年十二月十日の中井英夫の命日である黒鳥忌に、中井家の菩提寺である山口県の正福寺から中井英夫の分骨を行った寺である。中井英夫の葬儀を行った場所であり、一九九七年には「虚無への供物 中井英夫供養塔」が建立されている。下谷七福神としても知られており、小説家の立松和平の墓や、プロボクサー・コメディアンのたこ八郎の「たこ地蔵」などがある。
 言問通りへ出て、清洲橋通りをしばらく南へ進む。久々の外出で歩き疲れた頃、かっぱ橋道具街に辿り着く。ニイミのおおきなコックさんの顔で有名な菊屋橋交差点の近くにある、行安寺に泡坂妻夫は眠っている。早いもので、泡坂妻夫が亡くなってから十三年が経つ。その後も復刊が続いているのは、変幻自在にして読者を魅了する作品の力であろう。

 五月八日、東京都は緊急事態宣言中、神奈川県はまん延防止等重点措置中という状況下で、県立神奈川近代文学館『創刊101年記念展 永遠に「新青年」なるもの―ミステリー・ファッション・スポーツ―』の見学会となった。本来は二〇二〇年の創刊百年に合わせて行われる予定だったが、新型コロナの影響により延期となり、「101年」となった展示である。
 改めて江戸川乱歩、大下宇陀児、小栗虫太郎、木々高太郎、甲賀三郎、谷崎潤一郎、夢野久作、横溝正史とおのおのの作家の代表作の草稿や遺品が一堂に会すると、圧巻たるものがある。コロナによりリモートワークや配信イベントなどが急速に定着したが、当然ながら現物を見る・当時のものに囲まれるという贅沢な体験に勝ることはなく、「新青年」の世界へ迷い込んだような感覚だった。
 どうしても探偵小説寄りの見方をしてしまうが、副題に「ミステリー・ファッション・スポーツ」とあるように、当時の紳士服やドレス、電気パーマ器(!)まで展示されていたのも目を引いた。スポーツ関連でいえば、戦前の東京六大学のユニフォームや、ベーブ・ルースのサイン入りボールなどがある文学展というのも、なかなか珍しい。それだけ「新青年」が、幅広く当時の流行を集約した濃密な雑誌だったということだろう。
 当日は芦辺拓、佐山一郎、浜田雄介各氏によるトークイベント「『新青年』という運動体」が行われた。インターネットなど情報過多な現代と比べて、「新青年」だけでなく、その後の「宝石」「幻影城」なども含めて、「雑誌」というメディアが与えてきた影響力の強さについて考えさせられる内容だった。
 トークショーの後、人混みの中、松坂健氏をお見かけしたが、それがお目にかかった最後となってしまった。協会報の「松坂健のミステリアス・イベント体験記」もあと数回で百回の大台に乗る所であったし、土曜サロンでも五色不動散策を企画されていたという。この場をお借りして、松坂氏のご冥福をお祈り申し上げたい。

 通常、三・四・五月、九・十・十一月と年六回開催されている土曜サロンだが、二一年はこれが最後となった。二〇二二年一月現在、オミクロン株が国内で広まりつつあり、まだまだコロナとの闘いを強いられそうだが、日本探偵作家クラブ・日本推理作家協会の元となった「土曜会」を受け継いでいる伝統ある土曜サロンの存続を願いたい。