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ささやかな希望的観測と絶望的な思い込み

大滝瓶太

 はじめまして、大滝瓶太と申します。
 主にXというTwitterのパチモンみたいなSNSで恥を撒き散らしながら子どもらと実存を賭けた大喧嘩を日夜繰り広げ、空いた時間に小説を書いて生活しています。
 自己紹介ということで、少しばかりぼくの身の上話にお付き合いください。

 1986年、ダルビッシュ有やウサイン・ボルトと同級生という昭和61年に兵庫県伊丹市で生まれました。両親はともに兵庫県出身で、高校卒業後に勤めた自動車のディーラーかなにかの職場で知り合い、結婚に至ったと聞いています。父は数年で会社を辞めたあと、家業である土建屋を継ぐためにバイトをしながら夜間の専門学校に通い、国家試験を取得後、家族を連れて故郷である淡路島に帰りました。ぼくが3歳になったときです。
 それから18歳まで、高校を卒業するまで淡路島で過ごしました。自我の芽生えがおそかったのか、それとも都合の悪いことを思い出したくないだけか、むかしのことはあまり思い出せないのですが、なんとなく目に浮かぶのは狭い海の光景です。
 海といえど水平線がピヤァーと伸びるようなものではなく、すぐに対岸が見え、夜になるとそこには人間の巣のように家々の光がブワァーと広がっていたのですが、それを見ながら本州というものに自分が持ち合わせていないすべてがあるんだ的なことを思っていました。ありきたりで語るほどでもない自分のあれこれは、向こう側にいけば決定的に変えていけるのではないか、と。どこかの誰か(たしか大学時代の先輩です)が「ささやかな希望的観測は絶望的な思い込みと見分けがつかない」と言ったのですが、そんなところです。

 大学入学で故郷を出て京都に移り住んでから、当初のささやかな希望的観測が絶望的な思い込みであったことを幾度となく思い知らされました。なにをやるにも自分の無知と怠慢、適性のなさばかりが明らかになり、自らへの失望という失望を繰り返しました。そんな日々のなか気づけば小説を書いていました。しかしその小説もフラフラとしていて、純文学を書いていたと思えばSFを書き、批評を書いたかと思えばミステリを書いていました。ひとつ書いては希望が絶望に変わるのを繰り返しつつ、しかしそれでも新たな希望が生まれてくることを、いまでは自分でおもしろがれるようになってきました。
 いまぼくは自分の来歴を『ガリバー旅行記』のようなものだと考えています。なにもない自分がそれまで考えもしなかったものに出会える未知の島を対岸から見るより、実際に上陸せずにはいられません。あらゆるささやかな希望的観測が絶望的な思い込みだったと知らされようとも、それを悲劇でなく喜劇として他のどこかの誰かに語れる人間になりたいものです。
 そんな異邦の旅行者を暖かく迎え入れてくださった皆様に感謝しています。
 これからどうぞよろしくお願いいたします。