健さんのミステリアス・イベント体験記 第28回
仲間の文士に愛された探偵作家の世界
「没後10年 知られざる鮎川哲也」展と
「谷戸に文化村があったころ─探偵作家松本泰 松本恵子と文士たち」展
ミステリー文学資料館
(2012年9月25日~2013年1月31日)
中野区立中央図書館
(2012年12月1日~2013年1月24日)
ミステリ研究家 松坂健
作家の本分はもちろん読者に愛されることだろうが、中には同僚の作家連中から慕われる人柄の人もいる。
さしずめ、戦後本格ミステリの旗手として最後まで活動しつづけた鮎川哲也さんなどは、作家、編集者といったプロの人たちから大事にされた、というかファンを多く持った作家であったようだ。
そんな鮎川さんの姿を偲ばせてもらえるのが、ミステリー文学資料館で行われている「没後10年 知られざる鮎川哲也展」だ。
資料館の片隅を使った展覧会としては小規模のものだが、アリバイ崩しの本格から、児童ミステリ、そして古く、誰もが忘れ去ってしまったような探偵作家たちの仕事を発掘し、それらを顕彰する仕事など、まさにミステリ漬けの一生がコンパクトに提示されている。
ご本人は写真嫌いとのことで、余りポートレートがないということで、彼の写真よりも、彼と対談したお相手の探偵作家の写真が目立つというのも、いかにも鮎川さんらしい奥ゆかしさと言うべきか。自分の成功だけでなく、先達の仕事を大切にしようという姿勢がなんとも心あたたまる。
残念なのは、時事折々の事柄が克明に記されているという日記が、ほんの一部しか公開されていないこと。なんでも、北村薫さんと戸川安宣さんの監修で、いずれ公刊されるとのことだ。「一ページ、一ページが、まさに、戦後本格ミステリの、生きた歴史そのもの」(北村薫氏)ということだから、これは期待したい。ついでに、作家探訪の折りに残した録音テープも展示されていた。取材の成果は鮎川さんご自身の手でまとめられてはいるが、これもテープが劣化する前に、逐語的に文章に起こしたものをきちんと残しておいてほしいと思うのだが、どんなものだろう。
何はともあれ、時代小説などの他の分野に浮気することなく、ただひたすら本格ミステリ一本道を歩んだ作家としての純粋性が、仲間の作家諸兄の尊敬と共感を呼んでいるのだろう。
僕自身は、『黒いトランク』や『人それを情死と呼ぶ』、後期の『風の証言』『砂の城』などに、本格ミステリの要素よりも、鮎川さんが盛り込んだ彼なりの日本の戦後史観を読み解きたいと思っている。その意味では、今回配布されている「ミステリー文学資料館ニュース」第25号に法月綸太郞さんが寄せている「本格というツールを駆使して、目の前に立ちはだかる現実をハッキングしているような興奮を覚えます」という一文に共鳴するものだ。その意味でも、日記が早く読みたい。
鮎川さんがミステリ文壇で特殊な位置を占めているように、探偵小説の黎明期に、文学コミュニティを主宰した作家夫婦がいた。
松本泰・恵子夫妻だ。
この夫婦を囲む文人たちの世界を見せてくれるのが、中野区立中央図書館で開催中の「谷戸に文化村があったころ─探偵作家松本泰 松本恵子と文士たち」展だ。
松本泰(1887~1939)は英国滞在中に探偵小説の魅力に取り憑かれ、この地で知り合った恵子と一緒に、帰国後、東中野に住み、出版社を興し、「秘密探偵雑誌」を創刊する。翻訳と犯罪実話中心の編集だが、乱歩の登場よりも早かった。この雑誌は関東大震災後「探偵文藝」と改題され刊行がつづき、翻訳だけでなく、泰自身の作品を含め、創作にも力を入れた。
泰・恵子夫妻は、まだ田んぼばかりだった中野の地に、十数軒の貸家を持ち、そこに文士を住まわせたので、地名にちなんで「谷戸の文化村」と呼ばれたそうだ。恵子はここを拠点に翻訳活動を充実させ、クリスティの作品などを精力的に紹介する一方、『足長おじさん』や『ベンハー』など当時のベストセラーなどの訳業も残した。
恵子の妹さんが、長谷川海太郎の奥さんと大学同級という縁もあって、松本家と長谷川家は親しいつきあいをつづけたようだ。海太郎は谷譲次、牧逸馬、林不忘れの3つのペンネームを駆使した「一人三人全集」の彼のことである。この他にも、批評家の小林秀雄、秀雄の妹の旦那さんの田河水泡(のらくろ)、野尻抱影・大佛次郎兄弟、さらに近親者を通じて、北海道大学、クラーク博士につながる人脈もあった。
戦前には、文化人がこのようなサロンを維持できるような余裕があったのである。
そういえば、鮎川さんも、親しい仲間を時に住んでいる鎌倉に招き、みんなで散歩する会を楽しんでおられたとか。
文学サロン。懐かしい響きをもつ言葉だ。このふたつの展覧会は、しばし余裕のある時代を思い出させてくれる味な企画だった。
なお、鮎川哲也展は1月31日まで、松本泰・恵子展は1月24日まで開催している。