近況

野崎六助

野崎六助

 ついに来てしまった。
 今さらうろたえても仕方がない。還暦をむかえた時には、さほどの無常観にはとらわれなかった。しかし。それから五年。介護保険の被保険者証(二度も打ち間違えた)が送られてきた。その感慨はまことに筆舌に尽くしがたいものがあった。母親の保険証なら、うんざりするほど見慣れていた。いざ、そこに自分の名前の印字された保険証を手にとって見ると──。
 日をおかず、祝いのために家族が集まってきた。「いつ要介護になっても大丈夫」の祝い、というわけでもない。今年は一人、人口が増えている。主役は、そちらだ。初孫の登場によって、我が家はがぜん小津安二郎的世界に変容していくようだった。居間の隅においたケージには、とても今年の夏は乗り越えられまいといわれていた老猫(18歳)が寝ている。あたりかまわず粗相をするようになったので、ケージの中で看取ることになるかと覚悟したが、すっかり元気を盛り返してきた。しかし医療費は半端ではなく、「ペットの介護保険」があればなあと嘆かされる毎日である。
 孫のベビーベッドと猫のケージは、形状も大きさもよく似たものだ。このツーショットを小津的なローアングルでカメラに収めようと、いろいろ試みたけれど『東京物語』風にはとても及ばなかった。赤ん坊の順調な生育ぶりをみなが喜ぶ。わたしは、折悪しく読んでいたのが、赤ん坊を丸焼きする料理の小説(莫言の『酒国』)だったせいもあり、「よく太って、美味そうだ」と口を滑らせかけてヒヤリとした。
 本人の介護保険証。あと何年後であろうとも、使わないまま過ごしたいものである。