日々是映画日和

日々是映画日和(75)

三橋曉

 以前ローレンス・ブロックが来日した際にインタビューをする機会があって、話が映画に及んだ。マット・スカダー役は誰がいいと思うかという問いに対して、即座に「今度リーアム・ニーソンが演じるんだけど、わたしのイメージするスカダーにかなり近いね」という答が返ってきた。スカダー・シリーズでは過去に「八百万の死にざま」をハル・アシュビーが映画化していて、その時はジェフ・ブリッジスが酔いどれ探偵を演じたが、原作、映画のファンともに反応は芳しくなかった。『誘拐の掟』はそんな双方にとっても、捲土重来の映画化になったといっていいだろう。

 スコット・フランク監督の『誘拐の掟』の元となった『獣たちの墓』は、スカダー・シリーズの十作目にあたる。原作が書かれた九○年初頭は折からのサイコスリラーのブームのさ中で、作者のブロックはスカダーとサイコキラーの息が詰まるような対決をシリーズに持ち込んだ。『墓場への切符』に始まる〝倒錯三部作〟とも呼ばれる一連の作品は、二作目の『倒錯の舞踏』で見事エドガー賞の栄冠を手にし、『獣たちの墓』はその連作の掉尾にあたる。
 ある晩、近所の食堂で夕食をとっていたスカダー(リーアム・ニーソン)に若者が話しかけてくる。私立探偵の彼に相談事があるので、兄と会ってほしいと懇願する。兄ダン・スティーヴンスは麻薬のディーラーだったが、誘拐犯に妻を殺され、復讐を企んでいた。手を貸すことをためらうスカダーだったが、間もなく同一犯と思われる少女誘拐事件が発生、事件に巻き込まれていく。
 アルコールに溺れ、警察を辞すことになった過去のエピソードが、スカダーを事件に駆り立てる動機付けとして効果的に使われている。ホームレスの黒人少年ブライアン・ブラッドリーとの交流のドラマも同様だ。あくまでスカダーの側から描かれる捜査の物語だが、サイコキラーを演じるデヴィッド・ハーバーの不気味な存在感が、犯人像の特異性とアウトサイダー感を際立たせている。ニーソン演じるスカダーも期待どおりで、充実した原作が多数あることからも再登場への期待がふくらむ。※五月三十日公開(★★★1/2)

 リーアム・ニーソンの主演作は今回もうひとつあって、バーズ・アイ・ビューとでもいうのか、大胆なカメラ視点の移動と場面の転換が新鮮な『ラン・オールナイト』では、酔いどれの殺し屋を演じている。主人公は、暗黒街を牛耳るエド・ハリスと幼い頃からの友情で結ばれてきたが、正当防衛とはいえ一人息子のジョエル・キナマンがエドの愛息を射殺してしまったことにより、三十年来の関係にひびが入る。息子を差し出せとの要求に対し、主人公は命にかえてもわが子を守り通そうと決意する。やがて手下と買収した警官を総動員し、エドの大掛かりな人狩りが始まる。
 監督は、『アンノウン』、『フライト・ゲーム』でミステリ映画好きを唸らせたスペインのジャウム・コレット=セラ。意外性よりもサスペンスに軸足を降ろした本作では、タイムリミットに向け緊張感を巧みに盛り上げていく。二人の父親を通して二重に映し出していくわが子への愛情のあり方もドラマの構図として悪くない。※五月十六日公開予定(★★★)

 高級ホテルのレストランで美人詐欺師が贅沢なディナーを一人楽しむ紳士をカモにしようとたくらむハニートラップの顛末から始まる『フォーカス』。人気者のウィル・スミスが、オーストラリアから登場し、忽ちスターの座に駆け上ったマーゴット・ロビーをカップルの相手役に選んだことも話題のデイト・ムービーだが、冒頭のエピソードに思わずニヤリとする映画好きの期待を裏切らないコンゲーム映画でもある。
 前半から惜しげもなく晒されるスリや詐欺の手口は、その道の専門家アポロ・ロビンスの指導だとか。スーパーボールにわくニューオリンズを舞台に一味が繰り広げる大掛かりな作戦は、ショウアップされているとはいえ、観ていて実に楽しい。いい関係になりかけた主人公ら二人の仲が意外な展開を遂げるあたりからが注目で、ブエノスアイレスへと舞台を移し、さらに観客を煙に巻いていく。『フィリップ、君を愛してる!』の脚本を手がけたグレン・フィカーラ&ジョン・レクアのコンビによる脚本・監督作。(★★★1/2)

 トマス・ピンチョンのひと筋縄じゃいかない原作を、ポール・トーマス・アンダーソンという曲者が映画化した『インヒアレント・ヴァイス』。原作は「LAヴァイス」として新潮社から翻訳がある。舞台は七十年代のロサンゼルス。ヒッピー探偵のドックことホアキン・フェニックスを訪ねてきた元恋人のキャサリン・ウォーターストンは、不倫の仲にある不動産王のエリック・ロバーツが、財産に目の眩む本妻から精神病院送りにされそうになっていると訴える。助けを求める元カノをスルーできないドックは、本人に会うため新興住宅の建設現場へと向うが、何者かに襲われ昏倒。気がつくとロス市警の警部補ビッグフットことジョシュ・ブローリンから殺人容疑で取調べを受けることに。
 楽しくも方向感覚を失わせる映画、という本作評があったが、まさにしかり。物語の入り組んだ構造に眩暈がしそうだが、男たちの友情の物語が忽然と立ち現れる展開には、心地よい酩酊感が伴う。ハードボイルドへの挽歌と呼ぶにふさわしいノスタルジーにも大いに痺れる。(★★★)

※★は四つが満点(BOMBが最低点)です。