健さんのミステリアス・イベント探訪記 第53回
乱歩さんが高木彬光氏に宛てた歴史的書簡も展示。日本探偵小説復興の熱気伝わる展覧会
ミステリー文学資料館
「没後20年 高木彬光展」
2015年11月17日~2016年2月20日
ミステリ研究家 松坂健
昭和22年の12月31日という日付は日本の推理小説史でも重要な一日として記憶されていい日のような気がする。
この日の夕刻か夜、一日、外に飲みに行っていた高木彬光氏が帰宅すると、奥様がばたばた家中を走り回っている姿を目撃する。いったい、何があったのかと問い詰めると、奥様が速達便を差し出す。差出人を見ると、江戸川乱歩とあるではないか。
待ちに待っていた手紙がついに届いたのだ。というのも、その年の8月に着手し、9月10日に書きあがり、それを原稿用紙に清書して、一読を乞う、と乱歩さんに送ったのが12月の初め。その原稿が『刺青殺人事件』だった。
乱歩さんは几帳面で、十日ほどのうちには必ず読むと受け取り確認の手紙を送っていたのだが、肝心の読後の反応をしるしているはずの手紙が十日過ぎても届かない。高木氏のいらいらが絶頂に達し、大晦日の日が来てしまう。もうだめか、と半分焼けになって飲みにでたとのことだが、なんとその日に乱歩さんから速達で読後の感想文が到来し、出版も検討しようという趣旨が盛り込まれていた。
そうして、名作『刺青殺人事件』は世に出てきたのである。
このエピソードは高木氏本人が何度も語っているし、詳しい経緯については彼のエッセイ集『随筆探偵小説』にあるのだが、残念ながら、この手紙はのちにお手伝いさんの手で捨てられてしまったとのことだった。残っていれば、戦後日本の探偵小説復興の狼煙を伝える文書として貴重なものだったのだが。
ということになっていたのだが、高木彬光氏没後20年にあたる昨年、ご長女の高木晶子さんが遺品の整理も最後にしようと、残されていた大きな段ボール箱を開けたら、麻紐で括られた手紙の束があり、それをほどくと失くしてしまったと思いこんでいた乱歩さんの手紙が出てきたのである。神津恭介じゃないけれど、「わたしが真実を発見したのではない。真実がわたしを呼んだのだ」という感じのエピソードだろう。没後20年、高木氏が導いたとしか思えないものだ。
この経緯は、高木晶子さんが折々に綴った文章を毎年末に「○○色のひとりごと」(○○は年度により異なる)の2015年12月発刊の「薄紅色のひとりごと」に収録されている。
わたしは晶子さんの大学時代の学友だったという知人から、このことを教えられ、このエッセイ集を送っていただいたのである。ちなみに、このエッセイ集には父親の姿を通じて探偵文壇の様子が盛り込まれている。その一部は高木晶子さんの著書『想い出大事箱』にも生かされている。
その歴史的な手紙が、2月20日まで開かれている東京・池袋のミステリー文学資料館の『没後20年高木彬光展』に出品されている。手紙には出版打ち合わせに乱歩邸まで来いとの指示があり、そこへの手書きの地図まで添えられている。乱歩さんの面倒見のよさが伝わってくる手紙で、これなら高木氏が狂喜乱舞したのも無理はないと思うものだ。
展示会には、『刺青殺人事件』の原稿そのもの、初出の宝石別冊(乱歩監修の文字ばかり目立ち、著者の名前が入っていないというので有名な元版)なども並べられている。また乱歩さんがサインした晶子さん所蔵の少年探偵団シリーズもあり。なお、今回、発掘された映画版『刺青殺人事件』の大判ポスターなども見ごたえがある。
戦後探偵小説の復活には横溝正史さんの一連の作品、そして高木氏の『刺青』『能面』『人形はなぜ殺される』などの作品の存在が欠かせない。そんな探偵小説界の巨人の足跡をたどる意味でも貴重な展示会だったと思う。望蜀の念でいえば、『破壊裁判』『誘拐』『白昼の死角』から始まる一連の社会派傾向のものへの目配せがもっとあれば、ということもあるのだが。
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ミステリに直接の関係はないが、「昭和」を思い出したい人に見逃せない展覧会をもうひとつ紹介しておきたい。
文京区・根津にある弥生美術館で2016年1月3日~3月27日開催中の『わが青春の「同棲時代」―上村一夫×美女解体新書展』だ。
上村一夫は昭和最後の絵師と言われた劇画家で、「同棲時代」で大ブームを起こした人。その耽美的な作風を愛した読者も多いだろう。この展覧会は、そんな上村の没後30年を期してのもので、彼が描いた美女50人の原画を展示しながら、彼の生涯を探る試み。
美女を描きながら、その背景にある哀しみをたたえた風景が特徴で、今、この絵がフランスのコミック愛好家の中で大評判なのだという。ただれた性というには薄すぎる、でも愛と言えるほどには濃くもない。中途半端なカップルの姿を「同棲」というキーワードで括った男女の世界の捉え方って、今、思えばずいぶんとヌーヴェルバーグのフランス映画みたいだ。国書刊行会から出された図録『上村一夫ビジ解体新書』(3200円+税)もなかなかの出来栄え。
なお、この上村一夫の盟友が作詞家の阿久悠。コラボレーションしている作品も多いが、こちらはお茶の水、明治大学に阿久悠記念館がある。常設で無料。根津に出たら、帰りに御茶ノ水、駿河台まで出て、この記念館でこの稀代の作詞の魔術師が紡いだ世界を覗くのも一興。おすすめコースである。なお、この記念館のお隣に有名な「刑事博物館」というのもあって、江戸時代からの取り調べ用拷問器具とか、日本に一基しかない中世ヨーロッパの「鉄の処女」も展示されているので、それも一見の価値あり。
この日の夕刻か夜、一日、外に飲みに行っていた高木彬光氏が帰宅すると、奥様がばたばた家中を走り回っている姿を目撃する。いったい、何があったのかと問い詰めると、奥様が速達便を差し出す。差出人を見ると、江戸川乱歩とあるではないか。
待ちに待っていた手紙がついに届いたのだ。というのも、その年の8月に着手し、9月10日に書きあがり、それを原稿用紙に清書して、一読を乞う、と乱歩さんに送ったのが12月の初め。その原稿が『刺青殺人事件』だった。
乱歩さんは几帳面で、十日ほどのうちには必ず読むと受け取り確認の手紙を送っていたのだが、肝心の読後の反応をしるしているはずの手紙が十日過ぎても届かない。高木氏のいらいらが絶頂に達し、大晦日の日が来てしまう。もうだめか、と半分焼けになって飲みにでたとのことだが、なんとその日に乱歩さんから速達で読後の感想文が到来し、出版も検討しようという趣旨が盛り込まれていた。
そうして、名作『刺青殺人事件』は世に出てきたのである。
このエピソードは高木氏本人が何度も語っているし、詳しい経緯については彼のエッセイ集『随筆探偵小説』にあるのだが、残念ながら、この手紙はのちにお手伝いさんの手で捨てられてしまったとのことだった。残っていれば、戦後日本の探偵小説復興の狼煙を伝える文書として貴重なものだったのだが。
ということになっていたのだが、高木彬光氏没後20年にあたる昨年、ご長女の高木晶子さんが遺品の整理も最後にしようと、残されていた大きな段ボール箱を開けたら、麻紐で括られた手紙の束があり、それをほどくと失くしてしまったと思いこんでいた乱歩さんの手紙が出てきたのである。神津恭介じゃないけれど、「わたしが真実を発見したのではない。真実がわたしを呼んだのだ」という感じのエピソードだろう。没後20年、高木氏が導いたとしか思えないものだ。
この経緯は、高木晶子さんが折々に綴った文章を毎年末に「○○色のひとりごと」(○○は年度により異なる)の2015年12月発刊の「薄紅色のひとりごと」に収録されている。
わたしは晶子さんの大学時代の学友だったという知人から、このことを教えられ、このエッセイ集を送っていただいたのである。ちなみに、このエッセイ集には父親の姿を通じて探偵文壇の様子が盛り込まれている。その一部は高木晶子さんの著書『想い出大事箱』にも生かされている。
その歴史的な手紙が、2月20日まで開かれている東京・池袋のミステリー文学資料館の『没後20年高木彬光展』に出品されている。手紙には出版打ち合わせに乱歩邸まで来いとの指示があり、そこへの手書きの地図まで添えられている。乱歩さんの面倒見のよさが伝わってくる手紙で、これなら高木氏が狂喜乱舞したのも無理はないと思うものだ。
展示会には、『刺青殺人事件』の原稿そのもの、初出の宝石別冊(乱歩監修の文字ばかり目立ち、著者の名前が入っていないというので有名な元版)なども並べられている。また乱歩さんがサインした晶子さん所蔵の少年探偵団シリーズもあり。なお、今回、発掘された映画版『刺青殺人事件』の大判ポスターなども見ごたえがある。
戦後探偵小説の復活には横溝正史さんの一連の作品、そして高木氏の『刺青』『能面』『人形はなぜ殺される』などの作品の存在が欠かせない。そんな探偵小説界の巨人の足跡をたどる意味でも貴重な展示会だったと思う。望蜀の念でいえば、『破壊裁判』『誘拐』『白昼の死角』から始まる一連の社会派傾向のものへの目配せがもっとあれば、ということもあるのだが。
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ミステリに直接の関係はないが、「昭和」を思い出したい人に見逃せない展覧会をもうひとつ紹介しておきたい。
文京区・根津にある弥生美術館で2016年1月3日~3月27日開催中の『わが青春の「同棲時代」―上村一夫×美女解体新書展』だ。
上村一夫は昭和最後の絵師と言われた劇画家で、「同棲時代」で大ブームを起こした人。その耽美的な作風を愛した読者も多いだろう。この展覧会は、そんな上村の没後30年を期してのもので、彼が描いた美女50人の原画を展示しながら、彼の生涯を探る試み。
美女を描きながら、その背景にある哀しみをたたえた風景が特徴で、今、この絵がフランスのコミック愛好家の中で大評判なのだという。ただれた性というには薄すぎる、でも愛と言えるほどには濃くもない。中途半端なカップルの姿を「同棲」というキーワードで括った男女の世界の捉え方って、今、思えばずいぶんとヌーヴェルバーグのフランス映画みたいだ。国書刊行会から出された図録『上村一夫ビジ解体新書』(3200円+税)もなかなかの出来栄え。
なお、この上村一夫の盟友が作詞家の阿久悠。コラボレーションしている作品も多いが、こちらはお茶の水、明治大学に阿久悠記念館がある。常設で無料。根津に出たら、帰りに御茶ノ水、駿河台まで出て、この記念館でこの稀代の作詞の魔術師が紡いだ世界を覗くのも一興。おすすめコースである。なお、この記念館のお隣に有名な「刑事博物館」というのもあって、江戸時代からの取り調べ用拷問器具とか、日本に一基しかない中世ヨーロッパの「鉄の処女」も展示されているので、それも一見の価値あり。