そうだ、推協に入ろう
知念実希人
そうだ、推協に入ろう。
二〇一五年の年の瀬も迫ったころ、唐突にそう思った。たぶん、テレビを見ていたらCMで『そうだ、京都に行こう』と流れたからだろう。多忙のため京都には行けないが、福山ミステリー文学新人賞を取ってデビューした四年前から、常々入会させていただきたいと思っていた日本推理作家協会に、そろそろ入ってもいいのではないかと思いついたのだ。
常々入会したいと思っていたなら、さっさと入れば良かったではないかと思われるかもしれないが、入会を躊躇っていたのには理由があった。その一つは、授賞式の会場で、某先輩作家さんから言われた言葉だった。
「新人作家がこの世界で五年間生き残れる可能性は、二十パーセントぐらいだから。頑張ってね」
五年間生き残れる可能性。医師でもある私の脳裏には、即座に『五年生存率』という単語が浮かんだ。
癌は治療後五年間再発せずに生存すれば、とりあえず完治したとみなされることが多い。つまり『五年生存率』とは、癌などの悪性度が高い疾患の治療等について説明する際に使用させることが多い単語だった。
なんで授賞式というめでたい席で、重病の告知みたいなことをするんだ? と恨めしく思うと同時に、その二十パーセントという低い数値に震えあがったのだった。その後、日本推理作家協会の入会を検討するたびに、その『五年生存率』のことが頭をよぎるようになり、「もし『作家協会』に入会しているのに、作家でない状態になったら……」と二の足を踏んでいた。
また、もう一つの理由に、入ろうにもどうやればいいのか、いまいち分からなかったことがある。色々な人から話を聞いたところ、会員の方一名と理事の方一名の推薦が必要だということが分かった。知人に会員はいたが、理事をやっておられる方との面識はなかったので、推薦をいただくことができないと困っていた。
そんなこんなで入会を先延ばしにしているうちに、デビューから四年ほどが過ぎた。幸運にも恵まれ、なんとか作品を発表することができているし、一年先までは執筆の依頼も頂いているので、「作家として五年生き延びる」という目標は達成できそうだ。そう思いはじめたころに、前述のCMを見て、入会の決意を固めたのだった。
しかし、まだ推薦人を見つけなければいけないという試練が残っていた。駆け出し作家の私にとって、『日本推理作家の理事』という存在はまさに雲の上の存在。お手を煩わせて推薦していただくなどおそれ多いことをしてよいのだろうかと、またぐじぐじと悩みはじめた。そんなとき、某社の編集さんと打ち合わせをしているとき、入会について困っているという話をしたら、「えっ? 知念さんなら推薦なしで入れますよ」と言われた。意味が分からず、「何言ってるんですか?」と訊ねると、推理文芸に関する賞の受賞者は、入会に推薦はいらない、福山ミステリー文学新人賞はその『推理文芸に関する賞』に入っているという答えだった。
じゃあ、普通に申込書出せば、入会できるわけ?
理事の方々から面接を受け、「君にとって推理小説とは?」「協会に入って君は何をするつもりなの?」などの厳しい質問に答えてはじめて、『日本推理作家協会に入会する権利』を得られるのでは、などとおかしな想像をしていた私は、半信半疑のまま申込書を郵送したのだった。
かくして、「顔を洗って出直して来い!」と門前払いされることもなく、このたび歴史ある日本推理作家協会の末席に加えさせていただくことになった。
とりあえず、デビュー当初に危惧した、「作家協会に入っているのに作家活動ができない」という状態にならぬよう、今後も精一杯執筆に当たっていきたいと思っている。
協会員の皆さま、若輩者ですがどうぞよろしくお願いいたします。
二〇一五年の年の瀬も迫ったころ、唐突にそう思った。たぶん、テレビを見ていたらCMで『そうだ、京都に行こう』と流れたからだろう。多忙のため京都には行けないが、福山ミステリー文学新人賞を取ってデビューした四年前から、常々入会させていただきたいと思っていた日本推理作家協会に、そろそろ入ってもいいのではないかと思いついたのだ。
常々入会したいと思っていたなら、さっさと入れば良かったではないかと思われるかもしれないが、入会を躊躇っていたのには理由があった。その一つは、授賞式の会場で、某先輩作家さんから言われた言葉だった。
「新人作家がこの世界で五年間生き残れる可能性は、二十パーセントぐらいだから。頑張ってね」
五年間生き残れる可能性。医師でもある私の脳裏には、即座に『五年生存率』という単語が浮かんだ。
癌は治療後五年間再発せずに生存すれば、とりあえず完治したとみなされることが多い。つまり『五年生存率』とは、癌などの悪性度が高い疾患の治療等について説明する際に使用させることが多い単語だった。
なんで授賞式というめでたい席で、重病の告知みたいなことをするんだ? と恨めしく思うと同時に、その二十パーセントという低い数値に震えあがったのだった。その後、日本推理作家協会の入会を検討するたびに、その『五年生存率』のことが頭をよぎるようになり、「もし『作家協会』に入会しているのに、作家でない状態になったら……」と二の足を踏んでいた。
また、もう一つの理由に、入ろうにもどうやればいいのか、いまいち分からなかったことがある。色々な人から話を聞いたところ、会員の方一名と理事の方一名の推薦が必要だということが分かった。知人に会員はいたが、理事をやっておられる方との面識はなかったので、推薦をいただくことができないと困っていた。
そんなこんなで入会を先延ばしにしているうちに、デビューから四年ほどが過ぎた。幸運にも恵まれ、なんとか作品を発表することができているし、一年先までは執筆の依頼も頂いているので、「作家として五年生き延びる」という目標は達成できそうだ。そう思いはじめたころに、前述のCMを見て、入会の決意を固めたのだった。
しかし、まだ推薦人を見つけなければいけないという試練が残っていた。駆け出し作家の私にとって、『日本推理作家の理事』という存在はまさに雲の上の存在。お手を煩わせて推薦していただくなどおそれ多いことをしてよいのだろうかと、またぐじぐじと悩みはじめた。そんなとき、某社の編集さんと打ち合わせをしているとき、入会について困っているという話をしたら、「えっ? 知念さんなら推薦なしで入れますよ」と言われた。意味が分からず、「何言ってるんですか?」と訊ねると、推理文芸に関する賞の受賞者は、入会に推薦はいらない、福山ミステリー文学新人賞はその『推理文芸に関する賞』に入っているという答えだった。
じゃあ、普通に申込書出せば、入会できるわけ?
理事の方々から面接を受け、「君にとって推理小説とは?」「協会に入って君は何をするつもりなの?」などの厳しい質問に答えてはじめて、『日本推理作家協会に入会する権利』を得られるのでは、などとおかしな想像をしていた私は、半信半疑のまま申込書を郵送したのだった。
かくして、「顔を洗って出直して来い!」と門前払いされることもなく、このたび歴史ある日本推理作家協会の末席に加えさせていただくことになった。
とりあえず、デビュー当初に危惧した、「作家協会に入っているのに作家活動ができない」という状態にならぬよう、今後も精一杯執筆に当たっていきたいと思っている。
協会員の皆さま、若輩者ですがどうぞよろしくお願いいたします。