二足のわらじを履いて
この度、入会させて頂きました阿部智里です。若輩者ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします。
四年前、プロデビューさせてもらえることが決まった時、私は大学の学部生でした。新人賞の最終選考に残ったことを告げても、両親には「学生の本分を忘れないように」と釘を刺されたので、選考結果は授業中に受けることになりました。
先生に了承を受けた上で、机にマナーモードにしたケータイを置き、振動が天板に伝わらないようハンドタオルを敷いた記憶があります。さあ来るか、いつ来るか、と最初のうちはケータイを睨むように待ち構えていたのですが、途中で、そうも言っていられない緊急事態が発生しました。
私は、その授業で出されていた宿題を、すっかり忘れていたのです。
教授が次々に学生を指名しだしたのを見て、「やってもうた!」とにわかに焦り始めました。一週間しまいっぱなしだったプリントを取り出し、厚さ五センチの筆箱になんとか隠れようと(無駄な抵抗を)しながら問題を解いていると、ムーッ、ムーッと誰かの携帯が震える音が聞こえました。
一体誰だ! 全く、サイレントモードにしておきなさいよ、と八つ当たり気味に顔を上げ――オレンジのライトを点滅させながら震える、己のケータイが目に飛び込んできたのです。
あとはもう、しっちゃかめっちゃかです。
飛び上がったせいで椅子が倒れ、慌てて取ろうとしたケータイは宙を舞い、固い床の上に落ちて、ズガガガガ、ズガガガガ、とものすごい騒音を立て始めました。教室中の学生から視線を集めながらそれを拾い上げ、教室の外に出ようとしてドアにぶつかり、ようやく通話ボタンを押しても、今度は音が聞こえない!
え、まさかボタンを押し間違えたか、と思ったら、単に髪の上から押し当てていただけでした。
自分で言うのもなんですが、もうちょっと落ち着け、と思います。
とにかく、私がようやく平常心を取り戻したのは、学校を出て会場に向かう道すがら、受賞の報告をした父に「お前、喜び過ぎて転ぶなよ」と呆れたように言われてからのことでした。
まあ、そんなこんなで、運よく在学中のデビューが決まり、ホクホクしていた私に対し、当時の編集さんが真顔で告げた言葉があります。
「おめでたい時にこういうことを申し上げるのも非常に心苦しいのですが――阿部さん。あなた、就職はどうしようと考えているんです?」
今は昔と違って、デビュー出来たから即プロ作家、というわけにはいかないんですよ。専業作家になれるまで、どうやって食いつなぐか、現実的に考えましょう。あなたはまだ大学生だから、就職しようと思えば出来るはず。これを幸運と思って頑張ってくださいね、と。
せ、世知辛ぇ……!
その時は思わず天を仰いだものでしたが、結局、私は就職をすることなく、執筆を続けつつも、大学院に進学して東洋史を学ぶことになりました。
最近になって、あの時「現実的に考えましょう」と言っていた編集さん達が、「そろそろ専業でも大丈夫ですね」とニコニコ笑ってくれるようになったのですが、今度は逆に、私が大学に残りたい、と思うようになりました。「実は、博士課程への進学を考えていて……」と言った瞬間、編集さんの笑顔の種類が変わり、戦慄したのを覚えています。
「文筆業と学生の二足のわらじ」と書くと何やらカッコイイ字面ではありますが、実際はエッセイの締め切りとレジュメの発表日を取り違え、小説の中身が論文っぽいと編集さんに怒られ、論文の草稿が論文になっていないと大学の先輩方から苦笑されるという、作家としても院生としても、非常に面倒くさい生き物に成り果てています。もはや二足のわらじと言うか、右足を穴の空いた長靴につっこみ、左足をビニール袋につっこんで上から輪ゴムで押さえている、といった感じです。
それでも大学に残りたいと思ったのは、大学で学んだことが、小説の内容をより良くするのが明らかだったためでした。自分の小説の書き方を見る限り、今、いっぱい書くことが出来るとしても、このまま専業になって十年後、二十年後を考えた時、行き詰るのは目に見えています。そして何より、大学の先生方が、「勉強したいという気持ちがあるのなら、やってみるといい」と言ってくださったことが大きかった。優秀な院生とはとても言えないけれど、それが許されるのであれば、学べる時に学んでおこうと思ったのです。
現在は小説を書きつつ、留年したりしなかったりしながら、来年の進学を目指して勉強しています。どこまで学生としてやっていけるのかは分かりませんが、死ぬまで小説を書き続けることだけは確かなので、自分以外の人にとっても価値のある作品を生み出せるよう、力の限り頑張るつもりです。
どうかみなさま、末永くお付き合い頂ければ幸いです。