松坂健のミステリアス・イベント体験記

健さんのミステリアスイベント探訪記 第84回
竹内康浩北大教授の英文書下ろし、マーク・トウェイン論、”Mark X”がMWAの評論・評伝賞部門にノミネート

ミステリコンシェルジュ 松坂健

 最近の日本推理小説界の快挙といえば2019年度のMWA(アメリカ探偵作家クラブ)が与えるエドガーズ(優秀作品に与えられる賞)の評論・評伝賞に、我が国の竹内康浩氏の”Mark X:Who Killed Huck Finn's Father"がノミネートされたことだろう。
 日本人作家がエドガーズの候補に挙がったのは2004年、桐野夏生さんの『OUT』、2012年、東野圭吾さんの『容疑者Xの献身』、そして昨2018年の湊かなえさんの『贖罪』(最優秀長編賞ではなく最優秀ペーパーバック賞)につづく4人目ということになる。今回は評論・評伝部門での候補作入りで、こういう部門で日本人のものが入るというのは本当に、意外でかつ嬉しいものだ。
 参考までに、今回の評論賞の候補作リストを記録にとどめておこう。
●The Metaphysical Mysteries of G.K. Chesterton: A Critical Study of the Father Brown Stories and Other Detective Fiction
by Laird R. Blackwell

●Dead Girls: Essays on Surviving an American Obsession
by Alice Bolin

●Classic American Crime Fiction of the 1920s
by Leslie S. Klinger

●Mark X: Who Killed Huck Finn's Father?
by Yasuhiro Takeuchi

●Agatha Christie: A Mysterious Life
by Laura Thompson

 チェスタートン論や1920年代アメリカクライムものを論じたもの、クリスティについての最新伝記など、なかなかの強豪そうなものを相手に堂々と名前を連ねている。
 マーク・トウェインはアメリカ人の国民文学だから、ひときわ、このフー・キルドのタイトルに反応したと思われるのだが、実はこの本の元版は日本で2015年に出版された『謎解き「ハックルベリー・フィンの冒険―ある未解決殺人事件の深層』(新潮選書)だ。
 著者はもちろん同一の竹内康浩さん。
 竹内さんは1965年生まれの米文学者、現在、北海道大学大学院教授をされておられる。これまでにも、『「ライ麦畑でつかまえて」についてもう何も言いたくない―サリンジャー解体新書』(せりか書房)などの著書もあるが、ご本人のツイッターでは、「しかし学生たちに読まれているのは『東大入試至高の国語「第二問」』(朝日新聞出版)なのだそうである。
 竹内教授は長い間、トウェインの代表作『ハックルベリー・フィン』のラストに違和感を抱き続けていたという。ハックの親友、奴隷のジムとの冒険談のきっかけが、ハックの父親、パップのある意味でのDVで、最後にはパップの死が知らされるのだが、その不自然な死の謎は放っときぱなしで終わってしまう。なんとも、座り心地の悪いラストだが、竹内さんは同じような疑問にぶつかったアメリカ人のトウェイン学者の論説にぶつかり、研究を開始する。
 その結果、得られた結論は、この作品は実は巧妙に取り組まれた推理小説ではなかったか? という仮説だった。推理小説なら合理的な解決がなければならないのに、それがついに書かれずじまいだった。つまり、未完のミステリーで、なぜ書ききれなったのには、トウェイン自身の人生に潜在するあるトラウマが作用しているという推測を、小説の中にちりばめられた様々なモチーフ(足跡、指紋、放り出された衣服などなど)から展開していく。まさに名探偵の役を竹内教授を演じているわけだ。
 刊行当時、この本をミステリ文献として意識できなかったのは、まこと不明のいたりで恥じ入るばかりだが、あらためて読んでみると、その論証過程の緻密さもすごいが、最後に出てくるウイーンに住むある意外な人物とトウェインの出会いなど、スリリングそのものだ。
 ということだが、今回の”Mark X”はこの本の単なる英訳ではない。
 竹内教授がその後の研究成果を踏まえて、まったく新しく英文で書き下ろしたものなのである。
 その英文版もさっとのぞいてみたが、章立てから結論への持っていきかたまで、『謎解き』とは、かなり異なっているようだ。教授によると、トウェインが『ハック』の執筆を中断したのは一回ではなく、二回あったとのことで、その部分をも詳しく論じたとのことだ。
 原文を入手しようとアマゾンを探ったら、ラトリッジ&キーガン・ポール大学出版局のハードカバー版が実に1万3000円もした!
 これはかなわんと見たら電子書籍版がほぼ半額。それでも6500円を投じたら、ペーパー版が出版されるらしいとのニュースが!
 ああ、という感じだが、何はともあれ、日本の人が英語で書下ろしをして出版できたこと自体が素晴らしい。
 『謎解き』の序章にあるのだが、「ハックルベリー・フレンド」という表現は、映画『ティファニーで朝食を』の主題歌、『ムーンリバー』で有名になったけれど、単なる懐かしい旧友というのではなく、ひとりは父親、もうひとりは黒人差別からともに脱出しようという同志という意味が込められていたこともわかった。そういえば、ホリー・ゴライトリーも追い詰められていた人なのだった。
 ともあれ、竹内さんのこの本のMWA受賞を願うものだ。発表は4月25日とのこと。