新入会員紹介

入会に寄せて ―― ヒーローには隙がないのだ

輝井永澄

 この度、日本推理作家協会に入会させていただくことになりました、輝井永澄と申します。入会にあたりましてご推挙を賜りました今野敏先生、細谷正充先生には、この場を借りて改めて御礼を申し上げます。
 私は現在、カドカワ・富士見ファンタジア文庫様より「空手バカ異世界」なる作品を刊行させていただいています。タイトルを見てわかるとおり、空手家がファンタジー世界で大暴れするライトノベルです。
 私のキャリアは、俳優として舞台に立つところからスタートしました。舞台といっても、ヒーローの着ぐるみを着て舞台に立ち、遊園地やデパートなどに集まった子どもたちの前で怪人をやっつけてみせる、というタイプのものです。
 ヒーローの着ぐるみは熱く、動きづらく、私たちは少ない練習時間で激しいアクションをこなし、危険なスタントも生でやってみせ、繁忙期である真夏の炎天下で脱水症状寸前まで汗を流し、時には大怪我をしながら、文字通りに骨を折ってわずかなギャラをもらっていました。
 俳優として名前が出るような舞台でもありません。私たちはテレビ番組のキャラクターを演じるだけであり、作り上げた舞台は私たちの作品ではないのです。頑張ればそれで食っていけるとか、そういうタイプのものでもありません。かといって、趣味の劇団とも違います。
 芸術的という評価をうけるわけでもないそんなフィールドで、なぜそんなに身体を張ってステージをこなしていたのだろうかと思いもするわけですが、しかし、相手が子どもであるがゆえに一切の手抜きが許されない舞台での活動は、実は大変に面白いものでした。
 なにしろ子どもたちが相手ですし、客席の距離も近い。子どもたちは衣装を触ろう、小道具を手に取ろうとしきりに手を伸ばしてきます。
「このクソガキどもが」と言いたくもなりますが、しかし、先輩俳優はこう言うのです。
「それは、お前がヒーローに見えないからだよ」と。
 そうなのです。
 一部の隙もないヒーローとしてしっかりその場に立っていれば、子どもたちは私をヒーローとして扱ってくれました。「ヒーローの着ぐるみを着ている人」と見られるのは、私にヒーローとして隙があったからなのです。
 ショーの出来が悪ければ子どもたちは荒れます。ステージの出来が良く、盛り上がる時ほど、子どもたちは素直でした。およそ創作や芸能と呼ばれる活動の中で、こんなにダイレクトな反応が得られるものがあるでしょうか? それは、普通の演劇やロックバンドのライブなどともまた違うタイプの一体感だったように思います。
 そして、そうしたショーのあとで子どもたちと触れ合ったときの、本当に嬉しそうな笑顔が、私のエンターテインメント観を形作りました。
 その後、ゲーム業界で企画の仕事をするときも、この経験は大きな指標となりました。
 出来の悪いものを作れば、大人は黙って離れていくだけです。しかしそれは数字となって如実に跳ね返ってきます。昨今のソーシャルゲーム運営における、KPI指標と呼ばれるユーザー動向調査は、子どもたちと同様に残酷で、そして素直でした。
 特に、私の担当していたゲームはこれまた子ども向けで、最先端の技術を駆使して業界内で評価されたり、ゲームマニアの間で評判になるようなものでもなく、一部で総合芸術と言われたり、映画監督のような扱いをされるゲームクリエイターたちとはまるで違う世界です。そんな中で私は徹夜をしたり、同僚やクライアントと喧嘩をしたりしながら、よりよい演出や面白い仕組みを作るため、三十分の一秒単位での細かい調整を繰り返し、どうにか面白いゲームを作ろうとしてきました。
 拙著「空手バカ異世界」は、極めてエンターテインメント色の濃いライトノベル作品です。デビューのきっかけとなったWeb小説サイトでの作品発表時には、「とにかく面白いことはなんでもやってやろう」という気持ちで、アクション、人間ドラマ、現実社会のメタファー、お色気、パロディやハイコンテクストなネタ、メタ発言や楽屋オチまで、あらゆる要素を叩きこみました。
 そんな作品を世に出し、それをきっかけとして、江戸川乱歩先生がエンターテインメント作家のために尽力し、設立し、そして発展してきた日本推理作家協会に入会するということを大変な名誉と感じています。
 もちろん、深い意図や思索の込められた芸術性の高い文学やアート作品、緻密に構築され知的好奇心を刺激するミステリィやサイエンス・フィクションや人間の本質を深くえぐるドラマも大好きなのですが、きっと私は今後も引き続き、猥雑で無節操で安っぽくて、だからこそ本気で作り上げられた大衆エンタメを愛し、取り組んでいくと思います。今後とも、皆さまのご指導ご鞭撻をいただければ幸いです。