入会のご挨拶
昔、私が多摩川沿いの古びたアパートに住んでいた頃の話です。
ある日の午後、近所に住むサラリーマン風の男性が、牛乳の入ったコップを道端に置き、座り込んでいるのを見かけました。
何をしているのか気になって近寄ってみると、コップの横で生後間もない子猫が、小さいけど力強い声で「ミャーミャー」と鳴いていました。男性は、途方にくれた表情で子猫を見つめていました。
「それ、生まれたての子猫だよ?コップの牛乳なんて飲めるわけなくない?」 と心の中でつぶやき、つい男性に事情を尋ねてしまったところ、彼は子猫を見つけてしまったため、とりあえず牛乳を与えようとしていたそうです。理由は不明ですが、子猫は親猫とはぐれてしまったのでしょう。
私は男性と相談して、子猫を近くの動物病院に連れて行きました。獣医さんは「ひと月なら預かるから引き取りに来てほしい」と言ってくださいました。
正直、どうしたらいいのか迷いました。猫は大好きだったのですが、当時の住まいはペット禁止でしたし、動物と暮らした経験などないどころか、想像すらしたことがなかったからです。それでも獣医さんに預けた責任は取らねばならないと、ひと月も経たないうちに病院へ様子を見に行きました。
すると、子猫は右足の付け根に酷い傷を負っていました。暗い部屋で狭いケージに閉じ込められ、ストレスで自分の足を噛み続けていたようでした。
……ごめん。迎えに来るのが遅くなってごめんね。
罪悪感で胸がつぶれそうになった私は、即座に子猫を引き取る覚悟を決めました。とても愛らしい三毛猫の女の子。ミカンのような色が特徴的だったのでミカと名づけ、猫用の哺乳瓶でミルクをあげて必死に育てました。
それからおよそ十三年間、ミカはずっと私のそばにいてくれました。何度も引っ越しをし、仕事で家を空けることも多く、辛い想いをさせたことも多々あったかもしれませんが、私なりに精一杯慈しんだつもりです。
最期の日。ミカは私の腕の中で息を引き取りました。
瞳の中の光がどんどん奥に吸い込まれていき、その光が消えると同時に「ポン」と微かな音が聞こえた気がしたのを、今も鮮明に覚えています。
ミカがいなくなってから数年後、私は生まれて初めて小説らしきものを書きました。
売れないタロット占い師の女性と、十七歳の引きこもり少女がユニットを組み、相談者の悩みを解決していく短編ミステリーです。突然いなくなった飼い猫の行方を捜している相談者の話から、猫の居場所を推理する物語。その猫の名はミカ。占いユニットの名前は、敬愛するアガサ・クリスティーの「ミス・マープル」をもじって「ミス・マーシュ」としました。
それは、ミカへの鎮魂の想いを込めて綴った物語でした。
さらにミス・マーシュが謎を解く短編をいくつか書き、日常系の連作ミステリーとして完成させたものの、どこにも発表の場がないまま時だけが過ぎていきました。
やがて、連作短編集のみを募集する文学賞があることを知り、思い切って応募してみることにしました。『角川文庫キャラクター小説大賞』という、当時新設されたばかりの賞です。光栄なことに優秀賞をいただき、2017年にデビュー作として刊行されました。
以来、広義のミステリーやグルメ系エンタテインメントなど、様々な作風の物語を書かせてもっておりますが、私の大半の作品には、猫や犬などの動物が人に寄り添う存在として登場します。
―私の中にいるミカが、そうさせているのかもしれません。
ちなみに今は、小型犬のチワワと一緒に暮らしています。愛らしいけど気まぐれで奔放な、まるでミカのような性格の女の子です。猫から犬に生まれ変わったのかな、などと思うこともあります。
私が小説家としてデビューできたのは、いろんな方々のお力添えと、ミカという今は亡き大切な家族のお陰です。この先も、感情豊かで愛情深い動物たちを、物語に登場させていく所存です。 最後になりましたが、このたびは佐藤青南様にご尽力を賜り、日本推理作家協会に入会させていただきまして、大変うれしく思っております。麻雀が好き(主にゲーム)なのにリアルで打つ機会がほとんどなかったので、麻雀同好会に参加したいと考えています。
何かと不安定な世の中になってしまいましたが、会員の諸先輩方とお会いできる日が来ることを、心より楽しみにしております。
ある日の午後、近所に住むサラリーマン風の男性が、牛乳の入ったコップを道端に置き、座り込んでいるのを見かけました。
何をしているのか気になって近寄ってみると、コップの横で生後間もない子猫が、小さいけど力強い声で「ミャーミャー」と鳴いていました。男性は、途方にくれた表情で子猫を見つめていました。
「それ、生まれたての子猫だよ?コップの牛乳なんて飲めるわけなくない?」 と心の中でつぶやき、つい男性に事情を尋ねてしまったところ、彼は子猫を見つけてしまったため、とりあえず牛乳を与えようとしていたそうです。理由は不明ですが、子猫は親猫とはぐれてしまったのでしょう。
私は男性と相談して、子猫を近くの動物病院に連れて行きました。獣医さんは「ひと月なら預かるから引き取りに来てほしい」と言ってくださいました。
正直、どうしたらいいのか迷いました。猫は大好きだったのですが、当時の住まいはペット禁止でしたし、動物と暮らした経験などないどころか、想像すらしたことがなかったからです。それでも獣医さんに預けた責任は取らねばならないと、ひと月も経たないうちに病院へ様子を見に行きました。
すると、子猫は右足の付け根に酷い傷を負っていました。暗い部屋で狭いケージに閉じ込められ、ストレスで自分の足を噛み続けていたようでした。
……ごめん。迎えに来るのが遅くなってごめんね。
罪悪感で胸がつぶれそうになった私は、即座に子猫を引き取る覚悟を決めました。とても愛らしい三毛猫の女の子。ミカンのような色が特徴的だったのでミカと名づけ、猫用の哺乳瓶でミルクをあげて必死に育てました。
それからおよそ十三年間、ミカはずっと私のそばにいてくれました。何度も引っ越しをし、仕事で家を空けることも多く、辛い想いをさせたことも多々あったかもしれませんが、私なりに精一杯慈しんだつもりです。
最期の日。ミカは私の腕の中で息を引き取りました。
瞳の中の光がどんどん奥に吸い込まれていき、その光が消えると同時に「ポン」と微かな音が聞こえた気がしたのを、今も鮮明に覚えています。
ミカがいなくなってから数年後、私は生まれて初めて小説らしきものを書きました。
売れないタロット占い師の女性と、十七歳の引きこもり少女がユニットを組み、相談者の悩みを解決していく短編ミステリーです。突然いなくなった飼い猫の行方を捜している相談者の話から、猫の居場所を推理する物語。その猫の名はミカ。占いユニットの名前は、敬愛するアガサ・クリスティーの「ミス・マープル」をもじって「ミス・マーシュ」としました。
それは、ミカへの鎮魂の想いを込めて綴った物語でした。
さらにミス・マーシュが謎を解く短編をいくつか書き、日常系の連作ミステリーとして完成させたものの、どこにも発表の場がないまま時だけが過ぎていきました。
やがて、連作短編集のみを募集する文学賞があることを知り、思い切って応募してみることにしました。『角川文庫キャラクター小説大賞』という、当時新設されたばかりの賞です。光栄なことに優秀賞をいただき、2017年にデビュー作として刊行されました。
以来、広義のミステリーやグルメ系エンタテインメントなど、様々な作風の物語を書かせてもっておりますが、私の大半の作品には、猫や犬などの動物が人に寄り添う存在として登場します。
―私の中にいるミカが、そうさせているのかもしれません。
ちなみに今は、小型犬のチワワと一緒に暮らしています。愛らしいけど気まぐれで奔放な、まるでミカのような性格の女の子です。猫から犬に生まれ変わったのかな、などと思うこともあります。
私が小説家としてデビューできたのは、いろんな方々のお力添えと、ミカという今は亡き大切な家族のお陰です。この先も、感情豊かで愛情深い動物たちを、物語に登場させていく所存です。 最後になりましたが、このたびは佐藤青南様にご尽力を賜り、日本推理作家協会に入会させていただきまして、大変うれしく思っております。麻雀が好き(主にゲーム)なのにリアルで打つ機会がほとんどなかったので、麻雀同好会に参加したいと考えています。
何かと不安定な世の中になってしまいましたが、会員の諸先輩方とお会いできる日が来ることを、心より楽しみにしております。