入会のご挨拶
この度日本推理作家協会の末席に加えていただくことになりました知野みさきと申します。
二〇〇一年から約二十年カナダで暮らしていましたが、昨年の秋口から諸事情が重なり、先日日本へ引き上げて参りました。永久帰国の折には日本推理作家協会へ入会したいと願ってきましたので、入会に際してご助力いただいた皆さまにまずはこの場をお借りして厚くお礼申し上げます。お忙しいところお時間を割いていただきありがとうございました。
「作家になりたい」
両親の読み聞かせから本好きに育った私は、幼い頃そんな夢を臆面もなく口にしていました。
夢を追って小中学校では細々と物語を綴っていましたが、やがて洋楽・洋画好きが高じて高二で渡米してからは、少しずつ「書くこと」が減り「なりたいもの」も変化していきました。
カルフォルニアの高校を卒業後にミネソタの大学に進学し、美術を専攻したことで読書や文章を書く時間は更に少なくなりました。大学を卒業してからは「美術科卒業生」の厳しい現実を突きつけられ、ただ生活していくために輸出入業やウェブ編集業を経て、渡加した後は銀行に就職しました。
幸い銀行では上司にも同僚にも恵まれました。性に合っていたのか、オペレーターから内部監査員となってからは業務も苦ではなく、黙々と数字やシステムと向き合ううちに更に昇進・昇給しました。仕事をかけ持ちする必要もなくなり、安定した人並みの生活がようやく手に入ったと思いました。
にもかかわらず、ある日ふと「これが私が本当に望んでいた生活だろうか?」という疑問に囚われたのは、行員になって五年ほどが過ぎた頃です。
作家や画家、イラストレーターなど、諦めてきた夢が次々と思い出され、中でも物語への思いが強く湧いてきました。物語へというよりも日本語への思いだったかもしれません。
英語も知れば知るほど奥深いものがあるのですが、英語の良さを知るにつれ日本語の良さも再認識するようになり、「もっと日本語に携わりたい」という思いが私を「書くこと」に引き戻しました。
一度小説を書き上げてみると誰かに読んでもらいたくなり、当てはまりそうな賞に幾度か応募したのち、第五回ポプラ社小説大賞にて作品が最終選考に残りました。残念ながら賞をいただくには及ばなかったのですが、この時の作品を改稿した「鈴の神さま」がデビュー作として二〇一二年に出版され、また同年「妖国の剣士」で第四回角川春樹小説賞を受賞することができました。
現在は時代小説を主に書いており、捕物的要素はあれど推理小説といえるものは「山手線謎日和」シリーズの二冊しか出版していないため、「推理作家」協会に名を連ねるのはおこがましいことと存じます。
時代小説を書くようになったのはデビュー後二年ほどしてからでした。それまでに出版した作品から私は「和風ファンタジー作家」とカテゴライズされていましたが、いずれは推理小説や時代小説、児童小説など別のジャンルにもチャレンジしたいと密かに願っていたところ、現在もお世話になっているエージェントさんが声をかけてくださったのです。「時代小説もそのうちにと願ってはいるけれど、勉強不足の自分にはまだ早い」と尻込みする私を、「時代小説はファンタジーだから」と後押ししてくださいました。
デビューから既に九年が経ち、七月には作家業も十年目に突入しようとしています。一度「書くこと」から離れたことや、デビュー後も兼業を続けていたことで回り道をした気はいたします。しかしながら、そういったことも引っくるめて全ての経験が今の自分の原動力となっていると感じており、引き上げという大きな変化を経た今、改めて作家として新しいスタートを切ったような心持ちです。
まだまだ勉強不足は否めませんが、いただいたチャンスを無駄にしないよう、また今後他の様々なジャンルの小説にチャレンジしていけるよう努力して参りたいと思います。
どうか皆さま、ご指導ご鞭撻のほどお願い申し上げます。
二〇〇一年から約二十年カナダで暮らしていましたが、昨年の秋口から諸事情が重なり、先日日本へ引き上げて参りました。永久帰国の折には日本推理作家協会へ入会したいと願ってきましたので、入会に際してご助力いただいた皆さまにまずはこの場をお借りして厚くお礼申し上げます。お忙しいところお時間を割いていただきありがとうございました。
「作家になりたい」
両親の読み聞かせから本好きに育った私は、幼い頃そんな夢を臆面もなく口にしていました。
夢を追って小中学校では細々と物語を綴っていましたが、やがて洋楽・洋画好きが高じて高二で渡米してからは、少しずつ「書くこと」が減り「なりたいもの」も変化していきました。
カルフォルニアの高校を卒業後にミネソタの大学に進学し、美術を専攻したことで読書や文章を書く時間は更に少なくなりました。大学を卒業してからは「美術科卒業生」の厳しい現実を突きつけられ、ただ生活していくために輸出入業やウェブ編集業を経て、渡加した後は銀行に就職しました。
幸い銀行では上司にも同僚にも恵まれました。性に合っていたのか、オペレーターから内部監査員となってからは業務も苦ではなく、黙々と数字やシステムと向き合ううちに更に昇進・昇給しました。仕事をかけ持ちする必要もなくなり、安定した人並みの生活がようやく手に入ったと思いました。
にもかかわらず、ある日ふと「これが私が本当に望んでいた生活だろうか?」という疑問に囚われたのは、行員になって五年ほどが過ぎた頃です。
作家や画家、イラストレーターなど、諦めてきた夢が次々と思い出され、中でも物語への思いが強く湧いてきました。物語へというよりも日本語への思いだったかもしれません。
英語も知れば知るほど奥深いものがあるのですが、英語の良さを知るにつれ日本語の良さも再認識するようになり、「もっと日本語に携わりたい」という思いが私を「書くこと」に引き戻しました。
一度小説を書き上げてみると誰かに読んでもらいたくなり、当てはまりそうな賞に幾度か応募したのち、第五回ポプラ社小説大賞にて作品が最終選考に残りました。残念ながら賞をいただくには及ばなかったのですが、この時の作品を改稿した「鈴の神さま」がデビュー作として二〇一二年に出版され、また同年「妖国の剣士」で第四回角川春樹小説賞を受賞することができました。
現在は時代小説を主に書いており、捕物的要素はあれど推理小説といえるものは「山手線謎日和」シリーズの二冊しか出版していないため、「推理作家」協会に名を連ねるのはおこがましいことと存じます。
時代小説を書くようになったのはデビュー後二年ほどしてからでした。それまでに出版した作品から私は「和風ファンタジー作家」とカテゴライズされていましたが、いずれは推理小説や時代小説、児童小説など別のジャンルにもチャレンジしたいと密かに願っていたところ、現在もお世話になっているエージェントさんが声をかけてくださったのです。「時代小説もそのうちにと願ってはいるけれど、勉強不足の自分にはまだ早い」と尻込みする私を、「時代小説はファンタジーだから」と後押ししてくださいました。
デビューから既に九年が経ち、七月には作家業も十年目に突入しようとしています。一度「書くこと」から離れたことや、デビュー後も兼業を続けていたことで回り道をした気はいたします。しかしながら、そういったことも引っくるめて全ての経験が今の自分の原動力となっていると感じており、引き上げという大きな変化を経た今、改めて作家として新しいスタートを切ったような心持ちです。
まだまだ勉強不足は否めませんが、いただいたチャンスを無駄にしないよう、また今後他の様々なジャンルの小説にチャレンジしていけるよう努力して参りたいと思います。
どうか皆さま、ご指導ご鞭撻のほどお願い申し上げます。