追悼・今邑 彩氏
戸川安宣
今邑彩さんが亡くなった、と知り驚いている。しかも、自宅で亡くなってひと月あまり放置されていた、という。持病を抱えておられた、とも聞いた。
今邑さんは東京創元社の《鮎川哲也と十三の謎》という叢書の十三巻目を一般公募の優秀作に充てる、という企画に『卍の殺人』をもって応募し、見事に十三番目の椅子を射止めてデビューを果たした。その受賞の言葉で、二十代の後半に鮎川哲也の『黒いトランク』を読んで本格物に開眼し、のめりこむようになった、という読書体験を開陳している。それは「私のなかで眠っていた何かを呼び覚ましたような気が」する、というほどの衝撃だったという。「あの日を境に本格物ばかりを漁って読むようになり、トリックのパターンを書き記した大学ノートが三冊めになった頃、とうとう読むだけでは飽き足りなくなり、自分でも書いてみたくなったのです」と執筆の動機を述べている。こうして応募された作品は、「特異な形態の屋敷をいかした犯罪計画の着眼にすぐれ、女性心理を見事に捉えて文章もなだらかである」(中島河太郎)、「論理的に謎を追求していく本格物本来の形式を墨守したものとして、高く評価されていい作品だった」(鮎川哲也)と高評価を得たのだ。
今邑さんはさっそく第二作に取りかかり、葡萄酒の製造過程を取材したい、というので、甲府在住の作家、岩崎正吾氏にお願いしてワイン工場を紹介してもらい、ふたりで出かけた。それが第二作『ブラディ・ローズ』として結実した。もうひとつ、「時鐘館の殺人」という。これもこちこちの本格中編を書いて頂いた。授賞時の言葉どおり、「時代錯誤ともいえる程クラシックなタイプのもの」が心底好きな、希有な存在だった。残念ながら、ぼくはそれきり今邑さんをサポートすることが出来ず、こうして突然の訃報に驚くことになってしまったのが残念でならない。どうか安らかにお眠りください。