翻訳家の大切な一冊

ヒュー・グラントがとても素敵だったので、いつの間にか翻訳家になりました

白須清美

(さだまさし『雨やどり』のメロディでお読みください)
 それはまだ私がバリバリの腐女子だった頃
 英国では耽美な映画が次々できまして
 『アナザー・カントリー』もいいけど私はやっぱり『モーリス』
 まんまとはまって原作も読みました

 ……とまあ、このような不純な動機で手に取ったフジテレビ出版のE・M・フォースター『モーリス』(のちに扶桑社文庫より刊行)でしたが、原作も映画に劣らず美しい物語でした。中でも心に残ったのは、登場人物のひとりの気持ちが変わっていくさまを描いたこの文章です。

「夕刻が夜に移ってゆくように、彼らも、淋しく年老いるにせよ、安全な関係にするりと滑りこんでいくだろう」(片岡しのぶ訳)

 数ある美しい文章の中から、なぜこの箇所が心に残ったのか今となってはわかりませんが、当時の私はこの文章にひどく心を打たれ、初めて「なんて美しい表現なのだろう。原文では、いったいどう書かれているのだろう」と興味を惹かれました。当時はアマゾンなど影も形もなく、田舎から高速バスで新宿へ行き、紀伊國屋の洋書売場で『Maurice』を探してもらいました。店員さんに「モーリスのお客様~」と呼ばれて恥ずかしかったのも覚えています。こうしてようやく手に入れた原書の文章は、やはりとても美しいものでした。改めて今、振り返ってみると、〝翻訳〟というものを最初に意識したのはこのときだったのかなと思います。
 当時高校生だった私ですが、その後は特に英文科に進むでもなく、翻訳とはまったく関係のない会社に就職しました。その後、いろいろあって会社を辞め、某新聞社でアルバイト生活をしていた頃、ふと翻訳を学んでみようという気になったのは、思えばこの『モーリス』体験がきっかけだったのかもしれません。外国語で書かれた物語を日本語にし、かつその日本語が読む人の心を打つというのは、素晴らしい仕事だと当時は思いましたし、今もその思いは変わっていません(とはいえ、自分自身はまだまだその域に達することができないのですが……)。
 今回、片岡しのぶ氏のあとがきを読み返したところ、「Dedicated to a Happier Year」という献辞を「より明るき日に捧ぐ」と訳したと書かれていました。わたしが感銘を受けたフレーズもそうですが、『モーリス』には朝や昼、夜、また光や闇といったモチーフがふんだんに盛り込まれ、移り変わる登場人物の境遇や心情を表現しています。それを踏まえたこの訳に、改めて感服しました。
 また本稿を書くにあたり、近年刊行された光文社古典新訳文庫の『モーリス』(加賀山卓朗訳)も読ませていただきましたが、こちらもまたいろいろな発見がありました。ひとつのオリジナルに対して、翻訳はまさに翻訳者の数だけあります。古いミステリの新訳に携わることの多い私には、このことはかなりのプレッシャーでもあるのですが、やりがいがあるのも事実です。これからも、素晴らしい諸先輩方の仕事に学びつつ、今の自分にできる精一杯の仕事をしていきたいと思っています。

★自己紹介に代わる訳著3作
ジョン・ディクスン・カー『悪魔のひじの家』(創元推理文庫)
オーエン・デイヴィス『九番目の招待客』(国書刊行会)
マイケル・アルパート『ヴィクトリア朝ロンドンの日常生活』(原書房)