ヒラヤマ探偵文庫の原点
最近はすっかり商業出版からご無沙汰をして私家版(体裁よくいえばリトルプレス?)ばかり出している自分が、はたしてこの紙上に登場する資格があるかどうか迷いましたが、温かいお勧めに甘えてお目汚しをさせていただきます。
もともと自分の出発点はシャーロック・ホームズ研究であり、それが発展して江戸川乱歩研究、さらに探偵小説研究にまで至ったのですが、同時に伸びた枝の一つが「シャーロック・ホームズのライバルたち」への興味でした。まだ10代の頃、「名探偵読本」シリーズ(パシフィカ)が出版されて、その第1巻『シャーロック・ホームズ』に感銘を受けてシャーロッキアンになった人も多かったと思いますが、自分はすでにその頃には『シャーロック・ホウムズ読本』(エドガー・W・スミス、研究社)で「入信」は済ませていました。むしろ「名探偵読本」シリーズで衝撃を受けたのは、第5巻の『シャーロック・ホームズのライヴァルたち』(中島河太郎、押川曠編)でした。
当時、創元推理文庫から同名の「事件簿」シリーズが出たり、またハヤカワ・ミステリ文庫からも同名のアンソロジー3巻が出ました。これらはおそらくイギリスで同名のアンソロジーが出て、ヴィクトリア朝時代の短編探偵小説の復権が図られたことがきっかけだったのでしょう。
しかしそれらの翻訳に収まりきらないほどの様々な作品が、まだ海外には眠っているという情報が、この『シャーロック・ホームズのライヴァルたち』という読本には詰め込まれていたのです。ただ当時まだ学生だった自分には、100年前の原書を手にいれる方法はわからず、またたとえ手に入れたとしても読み解く語学力もなく、Dover社から復刻されたペーパーバックを入手して、表紙を眺めるのがせいぜいでした。
それからしばらく経ち、ホームズ研究や乱歩研究もひと段落した頃、自分の興味は再び「ライヴァルたち」へ向かいました。また同時に、今まで日本で踏襲されてきた江戸川乱歩が切り開いた探偵小説史、いわゆる「乱歩史観」への疑問も抱くようになりました。探偵小説史から漏れ忘れられた作品は山ほどあり、当時の読者はそうした種々雑多な本を読んで「探偵小説」という概念を形成していたのです。現代の我々がピラミッド構造の下層に眼を向けることなく、頂点の「名作」のみを読んでも、なぜそれらの「名作」が生み出され、探偵小説がのちの世まで受け継がれるようになったのかを正確に理解することは難しいのではないでしょうか。
幸い1920年以降の「探偵小説の黄金時代」の作品は研究者や愛好家も多く、忘れられていた作品も近年邦訳されるようになりました。
そこで私は、「黄金時代」以前の「シャーロック・ホームズのライヴァルたち」、つまり第一次世界大戦終結までの現代では忘れ去られた作品を紹介しようと思いました。その時に再び手に取ったのが、前述のパシフィカの「名探偵読本」でした。
幸い『隅の老人』や『思考機械』などの有名「ライヴァルたち」は、出版の機会に恵まれました。特に『思考機械』は今まで作品数の確定ができていなかったのが、はっきりさせられたというのは大きな収穫でした。
そして驚いたことに、「名探偵読本」を中島河太郎先生と共同編集をした押川曠先生から、ある日突然お電話をいただきました。私の訳書を書店で見かけたと、激励のお言葉をいただきました。押川先生が活躍されていたのは大学在学中のことで、卒業と同時に蔵書を全て処分し、お仕事に専念されたそうです。押川先生からいただいたご連絡はこの一回きりでしたが、大いに励みになりました。
「名探偵読本」には、まだまだたくさん紹介したい名探偵が掲載されていたのですが、『隅の老人』や『思考機械』に比べるとマイナーです。出版社に持ち込みをしても、断られるばかりでした。その一方で出したい本はどんどん増えていきます。そこで一念発起して、自分で出すことにして、2015年にヒラヤマ探偵文庫を創設しました。
Kindle版を含めれば、今年でもう10年になります。英米の未翻訳探偵小説だけでなく、犯罪実話やダイムノベルなど、当時の読者の「探偵趣味」を満足させる作品を差別することなく紹介してきました。また翻訳物だけではありません。大正文学研究者湯浅篤志氏のご協力を得て、黒岩涙香から江戸川乱歩までの間の忘れられた大正時代の探偵小説の復刻も行い、ついに40巻に至りました。
このあと巻数をどれだけ伸ばせるかは分かりませんが、その原点は『名探偵読本5 シャーロック・ホームズのライヴァルたち』であったことは、間違いありません。改めて中島先生と押川先生にお礼を申し上げます。
◆自己紹介に代わる訳著3作
『ウジェーヌ・ヴァルモンの勝利』(ロバート・バー、国書刊行会)
『思考機械 完全版』(ジャック・フットレル、作品社)
『ミカドの謎 ニック・カーターの日本の冒険』(チッカリング・カーター編、ヒラヤマ探偵文庫)
もともと自分の出発点はシャーロック・ホームズ研究であり、それが発展して江戸川乱歩研究、さらに探偵小説研究にまで至ったのですが、同時に伸びた枝の一つが「シャーロック・ホームズのライバルたち」への興味でした。まだ10代の頃、「名探偵読本」シリーズ(パシフィカ)が出版されて、その第1巻『シャーロック・ホームズ』に感銘を受けてシャーロッキアンになった人も多かったと思いますが、自分はすでにその頃には『シャーロック・ホウムズ読本』(エドガー・W・スミス、研究社)で「入信」は済ませていました。むしろ「名探偵読本」シリーズで衝撃を受けたのは、第5巻の『シャーロック・ホームズのライヴァルたち』(中島河太郎、押川曠編)でした。
当時、創元推理文庫から同名の「事件簿」シリーズが出たり、またハヤカワ・ミステリ文庫からも同名のアンソロジー3巻が出ました。これらはおそらくイギリスで同名のアンソロジーが出て、ヴィクトリア朝時代の短編探偵小説の復権が図られたことがきっかけだったのでしょう。
しかしそれらの翻訳に収まりきらないほどの様々な作品が、まだ海外には眠っているという情報が、この『シャーロック・ホームズのライヴァルたち』という読本には詰め込まれていたのです。ただ当時まだ学生だった自分には、100年前の原書を手にいれる方法はわからず、またたとえ手に入れたとしても読み解く語学力もなく、Dover社から復刻されたペーパーバックを入手して、表紙を眺めるのがせいぜいでした。
それからしばらく経ち、ホームズ研究や乱歩研究もひと段落した頃、自分の興味は再び「ライヴァルたち」へ向かいました。また同時に、今まで日本で踏襲されてきた江戸川乱歩が切り開いた探偵小説史、いわゆる「乱歩史観」への疑問も抱くようになりました。探偵小説史から漏れ忘れられた作品は山ほどあり、当時の読者はそうした種々雑多な本を読んで「探偵小説」という概念を形成していたのです。現代の我々がピラミッド構造の下層に眼を向けることなく、頂点の「名作」のみを読んでも、なぜそれらの「名作」が生み出され、探偵小説がのちの世まで受け継がれるようになったのかを正確に理解することは難しいのではないでしょうか。
幸い1920年以降の「探偵小説の黄金時代」の作品は研究者や愛好家も多く、忘れられていた作品も近年邦訳されるようになりました。
そこで私は、「黄金時代」以前の「シャーロック・ホームズのライヴァルたち」、つまり第一次世界大戦終結までの現代では忘れ去られた作品を紹介しようと思いました。その時に再び手に取ったのが、前述のパシフィカの「名探偵読本」でした。
幸い『隅の老人』や『思考機械』などの有名「ライヴァルたち」は、出版の機会に恵まれました。特に『思考機械』は今まで作品数の確定ができていなかったのが、はっきりさせられたというのは大きな収穫でした。
そして驚いたことに、「名探偵読本」を中島河太郎先生と共同編集をした押川曠先生から、ある日突然お電話をいただきました。私の訳書を書店で見かけたと、激励のお言葉をいただきました。押川先生が活躍されていたのは大学在学中のことで、卒業と同時に蔵書を全て処分し、お仕事に専念されたそうです。押川先生からいただいたご連絡はこの一回きりでしたが、大いに励みになりました。
「名探偵読本」には、まだまだたくさん紹介したい名探偵が掲載されていたのですが、『隅の老人』や『思考機械』に比べるとマイナーです。出版社に持ち込みをしても、断られるばかりでした。その一方で出したい本はどんどん増えていきます。そこで一念発起して、自分で出すことにして、2015年にヒラヤマ探偵文庫を創設しました。
Kindle版を含めれば、今年でもう10年になります。英米の未翻訳探偵小説だけでなく、犯罪実話やダイムノベルなど、当時の読者の「探偵趣味」を満足させる作品を差別することなく紹介してきました。また翻訳物だけではありません。大正文学研究者湯浅篤志氏のご協力を得て、黒岩涙香から江戸川乱歩までの間の忘れられた大正時代の探偵小説の復刻も行い、ついに40巻に至りました。
このあと巻数をどれだけ伸ばせるかは分かりませんが、その原点は『名探偵読本5 シャーロック・ホームズのライヴァルたち』であったことは、間違いありません。改めて中島先生と押川先生にお礼を申し上げます。
◆自己紹介に代わる訳著3作
『ウジェーヌ・ヴァルモンの勝利』(ロバート・バー、国書刊行会)
『思考機械 完全版』(ジャック・フットレル、作品社)
『ミカドの謎 ニック・カーターの日本の冒険』(チッカリング・カーター編、ヒラヤマ探偵文庫)