まりーちゃんとわたし
私が翻訳家という仕事に興味を持ち、「なりたい!」と思ったのは、年齢的にすごく早いころだ。もしかしたら、数多いる同業のみなさんのなかでも一番早いかもしれない。なにしろそれは、4、5歳のころだった。
私が生まれてから小学校に入るまで、父は転勤が多くて、大体2、3年に一度引っ越しをしていた。お友だちとずっとずっと一緒に遊べるわけではないのも、引っ越しをすれば新しいお友だちができるまでなんとなくひとりぼっちなのも、やっぱりちょっと寂しかった。そんななかで、私に話しかけ、友だちになってくれたのが、絵本だ。特に好きだったのは、『まりーちゃんとひつじ』(フランソワーズ文・絵、与田準一訳 岩波書店)。というのも、この本を買ってもらった3歳ぐらいのとき、英文科出身だった母は私にこう言ったのだ。
「あなたは日本では『まりこ』だけど、外国に行ったら「まりー」って呼ばれるのよ」
まりー?! すごい。何かきらきらした別の自分が未来のどこかにいるようで、幼い私はびっくりし、ときめいた。「まりーちゃん」の絵本も、自分のお話だと思ってすっかりうれしくなった。だからくり返し読んでもらったのはもちろん、友だちであり自分でもあるまりーちゃんを、なんとか絵本のなかから取り出したくて、母にたのんで絵をトレーシングペーパーで写してもらい、そのまま切り抜いてもらった。まりーちゃんと仲よしの、ひつじのぱたぽん、あひるのまでろん、じゃん・ぴえーるくんも、同じようにして作ってもらった。ペラペラの紙ではあったけど、平たい空き缶に大事に入れて、お人形のように持ち歩いてはまりーちゃんごっこをして一人で遊んだ。缶は、たしか坂角の海老せんべいの黒い缶だった。
この絵本は、当時「岩波の子どもの本」として出ていた海外絵本の一冊で、ほかにも『ちいさいおうち』『こねこのぴっち』『スザンナのお人形/ビロードうさぎ』『はなのすきなうし』『ねずみとおうさま』『ひとまねこざる』のシリーズといった名作がたくさんある。それぞれに外国の香りがするような絵と文で、子どもなりに豊かな物語の世界に浸れるのがほんとうに楽しかった。後年、たしか11歳か12歳のとき、「小さかったころ、絵本、いっぱい買ってくれてありがとう」と、あらためて母に感謝の気持ちを伝えたほどだ。ところが母は、真顔でこう言った。
「あら、あれは全部あたしがほしかったのよ。あんたをダシにしてたの」
え……。
さて、そうした絵本を自分で読めるようになった4歳か5歳のころ、じっと表紙を見つめていた私は、カタカナで書いてある名前のほかに、日本語の名前があるのに気がついた。外国のお話なのに、この日本人は、いったい何?
「これは外国のお話だから、それを日本語にしてる人」母はさらりと言った。
そんな人がいるんだ―それで私は即座に言った。
「わたし、そういう人になりたい!」
すると母は……。
「あたしだってなりたい!」
1960年代のことだ。翻訳家なんていったいどうやったらなれるのか、一般人にはまるでわからない時代だったし、頭がよくて何でもできて、小さな私の目には神さまの次にえらい人のように映っていた母がなれなかったのなら、私には、ぜったい無理―。
こうして、抱いたとたんに潰えた翻訳家への夢だったが、「外国のお話」も「日本語」(学校では「国語」)も、やっぱりずっと好きだったし、いろいろな意味で私を支えつづけてくれた。そして今回、いつ以来かわからないほど久しぶりに『まりーちゃんとひつじ』を開いてみて、息を飲んだ。まったく古さを感じさせない鮮やかな色使い、ひと目で心をつかまれる愛らしい絵、リズミカルで詩のような文。それをそらで言えるほど読み、色彩豊かな世界をあれこれ想像していた人生最初の読書体験が、およそ四半世紀の時を経て、私を「外国のお話を日本語にする人」にしてくれたのかもしれない―。
ところで『まりーちゃんとひつじ』には、表紙ではなく、表紙を開けた扉ページに著者名と訳者名がある。初期の「岩波の子どもの本」はみなそうだったようだが、少しあとのものには表紙にも名前がある。だから私が母に質問したのは『まりーちゃんとひつじ』を見てではなく、たぶん数年後に買ってもらった『ひとまねこざる』を眺めながらだったのだろう。黄色い硬い表紙が、記憶の片隅にぼんやり残っている。
さらに今回、『まりーちゃんとひつじ』の扉ページをきちんと見て、あっと驚いた。著者名はフランソワーズ(別紙の作者紹介にはセニョボスという名字も記されている)。私がこの仕事を始めて以来ご縁の深い往年のスター作家、フランソワーズ・サガンと、同じファーストネームの人だったとは。
◆自己紹介にかわる訳書3作
・フランソワーズ・サガン
『悲しみよ こんにちは』
(新潮文庫)
・サン=テグジュペリ
『星の王子さま』(新潮文庫)
・ルイス・セプルベダ
『カモメに飛ぶことを教えた猫』
(白水社)
*この夏から劇団四季のファミリーミュージカルとして東京及び全国で再演の予定