翻訳家の大切な一冊

いつか図書館で会おう

伏見威蕃

「……喜和子さんから葉書が来たんです。『いつか図書館で会おう』って書いてあって、いまでも取ってあります。図書館で喜和子さんには会えなかったけど、図書館にはまた会えた……」  『夢見る帝国図書館』中島京子著より。

 その日、ぼくははじめて高校の図書室にはいった。土足ではいってはいけないのだが、うっかりしていて、司書のHさんにとがめられたのを憶えている。それがその図書室との出会いだった。そして、それからの三年間、そこの本を片端から読んだ。
 だれも読まないと見えて、モーム全集(戯曲までぜんぶ読んだ)は、梯子を登らないと取れない上のほうにあり、さらにエヴリマンズ・ライブラリがあった(おもにワーズワースなどの詩を読んだ)。ジロドゥの戯曲集。河出書房(新社?)の世界文学全集、東京創元社の古いソフトカヴァーの推理小説全集(かなり読んだが、頭のネジがゆるいせいで推理できず、ちっとも面白くなかった)、文庫クセジュ(たしか『ロリータ』があった)、早川書房のSF全集(当時、刊行されたばかり?)……。山岡荘八の『徳川家康』が刊行中で、借りては母にも〝読ませた〟(全二十六巻)。
 クラスのI組(一年から三年まで組替えなし)がある棟が離れていたので、クラスメートの好みの本を図書館から借りてきては返す〝お使い〟もやり、ついでに読んだのは、大江健三郎や芹沢光治良などなど。おかげでわがI組は貸出冊数が校内第一位で、卒業時にはひとり一冊ずつ旺文社文庫をもらった。
 じつは、その高校に受かったらギターを買ってくれると父が約束していたので、ギターを買ってもらい、高校での三年間、本を読むのと、ギターを弾くこと(もちろん学校に持っていく)しかやらず、それでも遅刻と欠席と授業をさぼるのが皆無に近かったおかげで、なんとか落第もせず低空飛行で大学にエスカレート入学した。
 じつは高校の図書館で手をつけていない〝壁〟はないというのが自慢でありますが(年寄りが昔話をすると自慢話になる。許してたもれ)、なにしろ手当たりしだいなので、これという一冊が……?
 そうそう、思い出した。スタインベックのEast of Edenが、はじめて読んだ長い原書だった。ペイパーバックに書いてあるメモによれば(記憶にごじゃいませんが)、読みはじめたのが一九六七年六月で、一九六八年三月までかけて読んだらしい。邦訳『エデンの東』(野崎孝・大橋健三郎訳、早川書房)はその前に読んでいた。ついでながら、新潮文庫の『怒りの葡萄』は受験勉強中にはじめて徹夜で読んだ本だが、これを「一冊」にできないのは、お察しのとおり諸般の事情による。
 この高校では、優秀な英語教師に出遭った。リーダーのコジマ先生には、probableは「たぶん」ではなく「十中八九」であり、the manは「ハルキ先生(英文法の教師)には内緒の代名詞」だというように、いろいろなことを教えてもらった。コジマ先生は「おれは外人よりも背が高い(外人とは、英会話のルイス先生というウェールズ人の小柄な女教師のこと)」とか、「日本人は外人とはちがって〝猿〟の子孫ではなく〝神〟の子孫だ」など、ポリティカリーコレクトではない発言も多かったのだが、図書館とおなじように、ぼくの翻訳のひとつのインスピレーションの源だった。ハルキ先生の授業で使われたホーンビーの小さな『新英英大辞典』は、自分で製本し直して、いまも愛用している。
 もう校舎も図書館も建て替えられて、『夢見る帝国図書館』にあるように、「……図書館にはまた会えた。ていうか、いつでも会えるよね。ここにあるんだから」というわけにはいかないが、脳裏にははじめてはいった図書館のようすが残っているし、〝いつか図書館で会おう〟と、いまもだれにともなくつぶやいている……。

◆自己紹介に代わる訳著三点
・マーク・グリーニー著
『暗殺者グレイマン』シリーズ
(ハヤカワ文庫)※第十三作まで既刊
・ウィンストン・チャーチル著
『[完訳版]第二次世界大戦』
(みすず書房)※全六巻のうち第二巻まで既刊
・ジョン・スタインベック著
『怒りの葡萄[上下]』
(新潮文庫)