土曜サロン

6月の土曜サロン報告
―松坂晴恵さんをお訪ねして

芦辺拓

 6月28日の土曜サロンは、「ミステリ劇の旗を揚げ、幕を開く―劇団フーダニットの25年」と題し、東京都江戸川区のマンションに本会会員でもあったミステリ研究家、故・松坂健さんが設けた私設図書館《待乳庵》にて、同劇団主宰の松坂晴恵さんからお話をうかがいました。
 慶応大の推理小説同好会で出会ったときには3年違いだった松坂健さんが、文学部に編入されたことから同学年となり、やがて卒業後に結婚。健さんがミステリ研究・評論活動を始められる一方、晴恵さんは自らの表現活動として演劇を見出します。30代後半にして劇団入りし期待の存在となったものの、チェーホフ専門で「何も起こらない芝居」を演じることにあきたりなさを感じて独立。お客に楽しんでもらえるものをやりたいというので、日本ではほとんど前例のないミステリ劇専門の劇団を立ち上げることになります。
 募集をかけたところ集まった、奇しくも13人のうち演劇未経験者がほとんどであったことから、正式スタートの前にプレ公演を企画、1999年12月にクリスティの短編劇「鼠たち」に朗読劇を加えた演目を「回転扉」として披露。翌2000年12月にいよいよ旗揚げ公演として「罠」を上演しました。ロベール・トマの大傑作ですが、そのどんでん返しシーンで「えーっ」という驚きの叫び声があがったのに手応えを感じたとのことでした。
 劇団のことには一切口をはさまないと明言していた健さんですが、公演に際しては常に広報宣伝を買って出、協力を惜しまれなかったことは劇場に足を運んだ誰もが知っていることでしょう。以来、海外の著名作品や日本では知られていない傑作、また日本作家の書下ろしも含めて公演を重ね、第24回となる「12人の怒れる人々」は、ホームグラウンドと言うべきタワーホール船堀を離れ、高田馬場ラビネストにて全公演完売という快挙をなしとげました。
 そのほか海外との上演許可交渉、数センチ単位で動きが指定されているクリスティ戯曲の狙いなどのお話も興味深く、実は筆者も松坂健さんが最後にかかわった第21回公演に「探偵が来なけりゃ始まらない―森江春策、嵐の孤島へ行く」を書かせていただいたのですが、その最大の難点は1時間弱という短さだった由。演劇鑑賞とは劇場にて時を過ごす体験そのものであり、演じる側見る側の負担を恐れて、あっさりスッキリすればいいというものではないことを個人的に学ぶこともできた今回の土曜サロンでした。