松坂健のミステリアス・イベント体験記

健さんのミステリアス・イベント体験記 第39回
横溝正史の『蝶々殺人事件』が舞台で蘇る。
もっと欲しかった昭和初期モダニズムの雰囲気づくり
2014年3月15日
新宿 紀伊国屋サザンシアター

ミステリ研究家 松坂健

 映画化は数知れずある横溝正史作品だが、舞台にかけられたのは、それほど多くない。戦前の耽美的な作風のものなら分かるが、戦後の本格推理になると、基本的に一杯舞台しかない劇場空間で複雑なストーリーを展開するのは、なかなか至難の技と思える。
 そんな困難にあえて挑戦する劇団が、ネルケプランニングというところで、この間、「昭和文学演劇集」と題して昭和初期の大衆文学をテーマに続々舞台にかけるというシリーズを行っている。
 これまでにも、正史の『鬼火』なども取り上げているのが、今回、その第3弾として取り組まれたのが正史戦後初めて本格推理、『蝶々殺人事件』だ。
 普通の発想なら、『本陣』か『獄門島』あるいは『犬神家』で行くところだが、由利先生、三津木俊助の『蝶々』という作品選定がなんとも渋い。企画力に負けて、劇場に足を運んでみた。
 幕の前に、ライティングデスクーが既に設置されている。暗転して明かりが入ると、物語全体の語り部、三津木俊助が座っている。客席には名探偵、由利麟太郎がいて、ふたりの掛け合いで芝居が始まる。
 この冒頭の掛け合いが、なかなかのものだった。由利先生いわく、「計画的な殺人こそ人間的なものだ。戦争などで、むやみに人を殺せるようになったら、世の中は闇。悪逆な殺人者が計画を練られること自体が文明の証しだ」。
 このパラドックス、この物語が昭和12年という設定であることを考えると、なかなか名言だ。昭和12年、満州事変はすでに起きているが、太平洋戦争の前、波乱への予感を含みながら、世の中にはエロ・グロ・ナンセンスが流行し、ある種、享楽的な雰囲気があった時代だ。そんな時代の歌劇団の物語であることを三津木が宣言し、幕が開く。
 そこからは、登場人物のひとりである劇団マネジャー土屋が書き残した手記という形で、物語が展開していくことになる。いわば、三津木のナレーションの中に、土屋の手記が入る入れ子構造で、これがちょっと観客には分かりにくい。原作にある驚きも大事にしたいという脚本・演出、石井幸一氏の正史へのオマージュということだろう。
 事件はミステリファンなら先刻、ご承知のとおりオペラ「蝶々夫人」のプリマドンナ、原さくらが失踪し、死体がコントラバスのケースから発見される。やがてそれが劇団のマネジャー助手の墜落死などを招いて、謎が錯綜していくというものだ。
 東京~大阪の二都を結んでのコントラバスケースの移動、それぞれの都市にある隠れ家、プリマドンナの大人になっても少女のように振る舞う奇矯な性格、劇団員の複雑な人間模様、およそ正史の名前から連想されるようなおどろおどろしい世界とは異なる都会的な雰囲気のあるミステリである。
 とはいえ、とここからが若干、辛口になるが、正直、セリフが事件の経緯の説明ばかりで、観客が理解できる水準をはるかに超えすぎていた。コントラバス殺人事件、墜落死事件などすべて、登場人物たちの掛け合いの中で説明される。膨大な台詞の量で、正直、役者のみなさん、間違えずに喋るのが精いっぱい、時代の色とか個人個人の性格を点描できる余裕などないようにお見受けした。みんなが大声を張り上げすぎて、これではお芝居ではなく、まるで「群読」だ。聞いていて辛い、辛い。それに、台詞の中のどの言葉を立てれば(強調する)、話の運びが理解しやすくなるのか考えていないように見えてしまう。
 そして、一番の問題は幕開きで昭和12年であることにこだわっている割には、時代考証がゼロ。主役の由利先生が金髪で登場するにいたっては、これは何だろう、と思ってしまう。前の戦争(満州事変)のあとで、あとの戦争(太平洋戦争)の前、という奇跡的に成立していた一瞬の平和な時代色の中での計画殺人がもつ「人間性」をテーマにするなら、時代考証はきちんとしなきゃ、と僕は思う。髪型もスーツの型も、音楽も。
 ちなみに、ほぼ満席の紀伊国屋サザンシアターの8割は女性。この劇団はイケメンを揃えているのが特徴らしく、みんなそれぞれのアイドルを見に来ているようだ。だから、ミステリファンがお小言言っても始まらないと思うが、僕などは、だからこそきちんとした舞台にしてほしいと考えるけど、おじさんすぎる意見かな。

 話が変わるが、3月14日、東京會舘で行われた「連城三紀彦さんを偲ぶ会」に出席してきた。昨年、10月19日に長い闘病の末、亡くなられた連城さんの思い出を語る会だが、挨拶に立たれた方々の、真情溢れる言葉が多く、とてもいい会だった。
 雑誌幻影城の新人作家コンテスト受賞者の同期、田中芳樹さんの挨拶につづき、俳優の奥田瑛二さんが連城さんの『少女』という作品を十年かけて自らメガフォンをとった経緯を語り、彼の作品の全体像をミステリ評論家の権田萬治さんがスケッチ。途中、休憩をはさみ連城さん生前の写真のスライド上映、そして担当編集者だった中村彰彦さん(作家)や脚本家荒井晴彦さんの交友の思い出話といった構成。どの挨拶もおざなりではなく、通して聞くとシャイではあるが、自分の節は曲げず生き抜いた作家魂が伝わってくる。全体で見事なまでの「連城三紀彦論」になっていた偲ぶ会だった。それにしても『戻り川心中』、名作だったなあ。