健さんのミステリアス・イベント探訪記 第50回
「幽霊塔」の時計は動き続ける
涙香・乱歩の世界がよみがえる
2015年6月~2016年5月
「幽霊塔へようこそ」展
三鷹の森ジブリ美術館にて
ミステリ研究家 松坂健
なんで、こんなことに苦労せにゃならんの、と愚痴のひとつも言いたくなるのが三鷹の森ジブリ美術館の入場券の入手。もともと、混雑を避け、時間帯ごとに入場制限をかけ、すべて前売り予約制でチケットを発券するのが、この美術館のやり方だが、この夏から、「幽霊塔へようこそ」展が始まったから、さあ大変ということになった。
一人で行くのもつまらないから、一緒に行きませんか、と僕を誘ってくれたのが評論家の新保博久さん、通称、教授だ。
時間を合わせなければいけないから、ちょうど池袋サンシャインで古書展をやってるから、そこで落ちあって、ローソンに行き、そこで話し合いながら発券してもらおうという段取りだ。そうそう、このジブリ美術館の入場券はローソンでしか扱っていないのである。
ところが、困ったことに池袋は西武の街だから、ファミマ(今な伊藤忠系列だが、元々は西武セゾングループ)は山のようにあるのだが、ローソン(元ダイエー、今は三菱商事系)が見つからない。足を棒にしてやっと見つけたローソンのチケット発券機の前で、教授と相談しつつ希望の日時を入れるも、全部売り切れ。結局、7月いっぱいは完全にソールドアウトだった。
僕が家に帰って、8月予約分をネットで追及するからといって別れた。それだって、抽選なのである。そんな思いをしてまで、とったチケットだが、僕は急ぎの用事が入っていけず、教授と三橋シネマ氏が行くことになってしまった。やれやれ、である。
突然のブームになったように見える「幽霊塔」だが、実は前哨戦が既にあった。
ビッグコミック誌で、黒岩涙香の「幽霊塔」を下敷きにしたサスペンスコミックが連載され、地味ながらも人気を博していたのである。描くのは『医龍』(坂口憲二主演で再三TVドラマ化されている)の乃木坂太郎氏だ。
昭和29年、戦後の混乱がまだやまない神戸を舞台にして、涙香の世界が展開する。美しい青年と美少女、そして宝物が隠されている時計塔の謎。青年同志の危うい愛情を縦糸に、現実にあった戦後の風俗、事件を横糸に上手に織り込みながらのストーリーは、青年コミック誌にも絶えて久しくなかったものだろう。ちなみに、全9巻、完結している。
なお、こちらのタイトルは『幽麗塔』。霊ではなく「麗」を使っているところがミソだ。
このブームに加えて、スタジオジブリの宮崎駿氏が、『ルパン三世・カリオストロの城』の時計塔での決闘は、涙香、乱歩の「幽霊塔」に対するオマージュであるとして、美術館に幽霊塔の世界を構築すると発表したから、一気にブームに火がついた。
宮崎氏は中学時代に乱歩の「幽霊塔」に出合い、衝撃を受け、何度も読み直したという。とくに、時計の針を動かす歯車のメカニズムに思いを馳せたという。そんな思いが、『カリオストロ』に結実するのだが、宮崎氏はそれを「途切れることのない通俗文化の大きな流れ」の中にあったことと説明する。
彼のいう通俗文化の「通俗」には明快な定義が与えられていないのだが、ここでは普通の人がハラハラ、ドキドキしながら先を読みたくなるような気持ち、万人が持つそのような共通感覚を「通俗」と言っていいのではないかと思う。
物語の基盤にある、そういうスリル。こんな歯車、物理工学的につくれっこない、とかこんな大規模な塔、誰にも知られずに作るなんて絶対不可能といったような理屈をものともせずに存在を許される「幽霊塔」。その通俗ロマンスは滔々たる大河のように今も流れて、河畔を沃野にしているというわけだ。
長い間、涙香が原作者を隠していたため、英国の何という作家の何という作品か分からなかったが、数年前、研究者の手によってアリス・ミュリエル・ウィリアムスンの『灰色の女』が元版ということが分かった(翻訳は論創社刊)。題名からも分かる通り、この作品自体がコリンズの名作『白衣の女』の影響下で書かれたものだ。それを涙香が翻案し、さらに乱歩がリライトする。
まさに「ルブラン、チェーホフ、漱石、乱歩、コナン・ドイル、ウィリアムスン、ホフマン……、僕たちはこういう決して途切れることにない通俗文化の大きな流れの中にいます」ということになる(ジブリの機関誌「熱風」非売品の7月号の宮崎駿インタビュー)
ヴィクトリア朝、明治期、昭和12年頃、そして昭和29年。時代が変わっても、幽霊塔のサスペンス構造は変わらずに作動する。
ハラハラ・ドキドキの俗情との結託。その魅惑には賞味期限切れなど起こらない。