昭和の編集者
著作のないフリー編集者という身上でありますが、この度、入会を承認していただきました。
昭和六十三年に音羽の出版社に入社し、二十二年と二ヵ月、お世話になりました。五年前に早期退職制度に応募して離職し、現在はフリーで活動しています。在職中は、十九年と半年と二十日、文庫と小説誌の編集部に籍をおきました。協会員の先輩諸氏を、たくさん担当させていただきました。原稿をいただきにお宅までうかがって、脱稿を待つ間、奥様の手料理をご馳走になることもありました。すでにワープロで執筆されるかたが増え始めていましたが、まだまだ主流は手書き原稿で、直接赤を書き込んでいました。ぎりぎり、ほんのわずかな期間でしたが、鉛活字のゲラに触れました。校正記号の「オス」を使ったことのある編集者は、もうほとんどいないでしょうね。今後も昭和の匂いをまとった編集者として、赤ペン片手に歩いていきます。
協会とのお付き合いは、新入社員時に、協会編アンソロジーの文庫化を担当させていただいて以来なので、かれこれ四半世紀を超えました。ソフトボール部は創設当初にエディターズの守備の穴として参戦、みちのく国際ミステリー映画祭にはほぼ皆勤賞、懇親会のビンゴは四回ほど上位の景品をいただいたと記憶しています。協会創立五十周年記念の文士劇では、スタッフとしてお手伝いをさせていただき、いい経験になりました。
現在は主に、書籍の企画、構成、校正を各出版社からいただいています。電子書籍の校正は、昨年までのラッシュ時に何十本かやらせていただきました。新人賞の下読みは、数件請け負っています。文庫の解説は、二本書かせていただきました。
もう一つ、メインの仕事として携わっているのが、新人作家の発掘、育成、出版社への持ち込みです。山村正夫記念小説講座には、山村氏の生前から準レギュラーとして関わっていました。その後、森村誠一氏が塾長になり、お手伝いする頻度がふえました。フリー編集者となってからは、講師として毎回顔を出しています。現在、受講生の定員百人に対し、常に十人程度のウェィティングがいる状態です。ここ数年は、新人賞を受賞したり、持ち込み企画が通ったりして、デビューする受講生がコンスタントに続いています。教室のOB作家をはじめ、協会員の作家、評論家の方々に、定期的にゲスト講師をお願いしています。みなさまの講評、叱咤激励、経験談がとてもためになっています。この場を借りてお礼を申し上げます。また、お声がけさせていただきますので、ぜひともお越しくださいませ。
日本冒険作家クラブ幹事会の事務方を、文芸局から異動になるまで続けておりました。編集者だけに、雑用、交渉、下働きなど、何でも得意です。協会の末席に加えていただいたからには、言いつけられた仕事はなんでもこなす所存です。どうぞ、みなさま、よろしくお願いします。