松坂健のミステリアス・イベント体験記

健さんのミステリアス・イベント探訪記 第52回
越前さん、宮脇さん、翻訳家主導のミステリ読書会が続々
先達・小鷹信光さんにも追悼を。
2015年12月8日小鷹信光氏逝去

ミステリ研究家 松坂健

 最近、翻訳家の方々がなかばボランティア的に、翻訳ミステリを素材に勉強会を活発に展開している。
 翻訳の仕事、技術伝授するという趣旨ではなく、翻訳というフィルターを通して、翻訳ミステリをテキストにしたある種の比較文学講座になっているところが、素晴らしいと思う。もちろん、参加者の中には、翻訳家志望の方々も多いとは思うが、一般のミステリファンでもっと小説の背後にあるものを深く読み解きたい人たちにも門戸が大きく開いているところがいい。
 まずは、ダン・ブラウンの翻訳で著名な越前敏弥さん。2年ほど前から始まった翻訳ミステリーシンジケート後援の「翻訳ミステリー読書会」に積極的に参加しておらえる。
 これは既に全国20地域以上で開催され、それぞれの読書会が世話人をおき、独自に例会活動をしているとのこと。まさに、ミステリの伝道者としての活動だ。
 越前さんは自分でも「翻訳百景」と題したブログ・イベントも主宰していて、僕は2015年9月29日、青山の東京ウィメンズプラザで開催されたミニ・イベント「エラリー・クイーン翻訳秘話」と題したトークショーに参加させていただいた。
 彼はこの間、角川文庫でクイーンの国名シリーズを全巻新訳で出すというタスクを背負ってこられたが、6年がかりでそれが完結し、かつハヤカワ文庫版で『災厄の町』と『九尾の猫』の新訳が出たこともあってのこと。
 しかし、さすがクイーン。翻訳家志望系だけでなく一般のミステリファンも参集し、総勢48名。日本におけるクイーンへの関心度が冷めていないことを実感させられた。
 講義はクイーンの過去の訳と新訳の比較にはじまり、アメリカ文化への理解度の深まりに従って、翻訳の質も変わり、ここにも「旬」があるとの説明にも納得しきりだった。
 もうひとり、翻訳家の宮脇孝雄さんはジョン・ディクスン・カーの読書会を連続的に行っている。こちらは2015年4月29日が一回目で、12月5日まで3回開催済み。
 特徴は、一部で「悪文」といわれ、これまで出ていた翻訳がわかりづらいとの定評があるカーのものを、宮脇さんが原文対照で精確に読み解いていこうというものだ。
 この会を提唱されたのがSRの会の会員のひとり。SRはカーファンの含有率が高いサークルで、そこでカーの作品分析ということで、これは翻訳家志望というより、もはやカー作品に特化した宮脇ゼミの様相だった。
 第一回の作品は短編『魔の森の家』、第二回が『火刑法廷』、そして第三回が『三つの棺』。いずれも、主催者のSさんの準備が周到で、各小説の問題点を表に仕立ててレジュメとするなど、首尾が整って充実だ。
 受ける宮脇さんも「カーはユニークな文章家で、その晦渋な文体は作品の仕掛け(ミスディレクション等)に直結しています。ところが、英語圏外の人間には理解しがたい文体でもあり、過去、数々の翻訳者が日本語の再現に挑んで玉砕してきました」と語り、それをどうしたら理解できるか、とファイト満々。こういう形でのカー論の展開は、これまで試みられていなかったと思う。速記録をとって、ミステリ専門誌に掲載してほしいと思うほどのレベルだ。
 越前さん、宮脇さんとも、翻訳のテクニック云々の前に、どうテキストを読むかの重要性を語ってくれているところが重要だ。ミステリ研究もこれで新しい領域に入りつつあると思う。お二方の地の塩的な努力には頭が下がるばかりだ。
    *    *    *
 といったところで、翻訳家の世界での巨人、小鷹信光さんが12月8日、すい臓癌で亡くなられた。享年79。
 小鷹さんはもちろん、ハードボイルド文学の翻訳・研究を主軸に仕事をされてきたが、人前でお話されるのが意外にお好きだったようで、翻訳という仕事にまつわる講演は好んで引き受けていたようだ。
 僕も2、3度講演を聞く機会を得たが、どれもテクニックの話ではなく、なぜ、ここが定冠詞ではなく不定冠詞なのか、といった一見些末な問題から、その表現がもつ意味の量、色彩などまで語ってくれるようなものだった。そんな些細な言葉選びにも、その国の文化や時代の特色が反映している。それを汲み取らないといけないという論旨は繰り返し言及されていたことだ。
 癌の告知があった2015年の春、こうなったら頭がはっきりしている間に自分の仕事を整理し、まとまったものを残したいという相談に呼ばれた。数年前から僕の身にはすぎるほどの厚い知遇を受けていた僕はミステリマガジンのKさんと雑誌内雑誌で小鷹信光ミステリマガジンを作ろうという提案をして、11月号、新年号、3月号と三冊はやり切ろうと、自伝代わりのインタビュ―などの作業に入った。3冊分の取材、各種手配をほぼ終えた時点で、急激に体調を崩されてしまい、小鷹マガジンの第3号が追悼号になってしまうのは悲しいことだった。
 それにしても、病魔が体を蝕んでいるのに、自分の文章の裏付け調査にかける異常なまでの熱意。なにごともアバウトにやってしまう傾向の僕はある意味、不肖の弟子以下だったと思う。なにしろ、あの探偵小説排撃論者のエドモンド・ウイルスンが人生全体に対してミステリにかかわった部分がどれだけあったかを実証するために、英文学者も敬遠したくなる1000ページ以上あるウイルスン伝を読み上げて、ミステリにかかわる記述が2ページもないことを突き止めて、人生の零点数パーセントと嘆いていたのが、この夏のこと。「こんなになっても、まだアマゾン注文しちゃうかねえ」などと言いながら満更でもなさそうなのである。
 ひとつの事実を探るのに、出来る限り資料は完璧であれ、実物主義であれ、というのは、小鷹さんが身をもって示してくれたことだった。翻訳家の仕事は通訳ではなく、焦点深度の深い比較文化論、それが小鷹さんの終始変わらぬスタンスだった。
 とにかく事前の準備のいい方で、「偲ぶ会」は盛大にやってほしい、とも言われており、会の式次第も何回にもわたって書き換えられたものが残されているとのこと。後日、お知らせをしたいと思うので、続報を待っていただきたい。小鷹さん、天国でもきっと自分の訃報や追悼記事の切り抜き帳なんか作り始めているんじゃないかな。この欄からもご冥福をお祈りしたい。